目次-読みたいページに移動できます-
日本理化学工業は働く人達が日本で一番幸せな奇跡の会社!wiki基本情報や沿革は?
5/17 (木)関西テレビ 19:57 ~ 20:54 奇跡体験!アンビリバボー【感動!働く人達が日本で一番幸せな奇跡の会社!!】
番組概要
笑顔と優しさあふれる優良企業の秘密…知的障がい者が全体の7割の会社!小さな町工場に奇跡が!?働くことの本当の意味とは…あなたは何のために働いてますか?創業81年にもなる神奈川県川崎市にある日本理化学工業という会社は、知的障がい者を雇っている会社で有名でありますが、最初に知的障がい者の雇用を始めたのは今から59年もの前のことで、現在では知的障がい者の雇用率は全体の7割を占める会社であります。今、日本で1番大切にしたいと言われている会社「日本理化学工業株式会社」について今回は、ご紹介します。
・虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡 [ 小松成美 ]
日本理化学工業とはどんな会社?
会社名:日本理化学工業株式会社
読み方:にほんりかがくこうぎょうかぶしきかいしゃ
所在地:神奈川県川崎市高津区久地2-15-10
設立:1937年(昭和12年2月13日)
事業内容:事務用品の製造販売
資本金:2000万円
代表者:代表取締役 大山隆久(おおやまたかひさ)
日本理化学工業株式会社は、1937年2月東京都大田区蒲田にて、大山要蔵さんという方が設立した会社です。
主な製品は「ダストレスチョーク」「ダストレスラーフル(黒板消し)」であり、日本理化学工業株式会社といえば「チョークを作る会社」として知られています。
日本理化学工業の社長とは?
創業81年となった日本理化学工業株式会社の創業者は、大山要蔵さんですが、知的障がい者を雇用が知られる頃には、創業者である要蔵さんの息子である康弘さんが社長として活躍されていた頃でした。
現在では、康弘さんは取締役会長に就任されており、代表取締役社長は3代目である康弘さんの長男にあたる隆久さんが就任されております。
日本理化学工業の沿革
昭和12年 2月 東京都大田区蒲田に日本理化学工業株式会社設立
(初代社長 大山要蔵)資本金8万円
昭和28年 9月 衛生無害のチョークとして文部省あっせん品に指定される
昭和31年 4月 日本工業規格(JIS)表示許可工場となる(東京)
昭和35年 3月 知的障がい者雇用を2名よりスタート
昭和37年 7月 大山はな代表取締役に就任
昭和40年 3月 労働大臣石田博英先生ご一行工場視察
昭和42年 9月 北海道美唄市に美唄工場を開設
昭和43年10月 常陸宮同妃両殿下が美唄工場にご来臨
昭和47年10月 北海道善行賞を受賞する(美唄工場)
昭和48年 6月 皇太子同妃両殿下(現天皇皇后両妃殿下)に知的障がい者の雇用状況を説明するため、専務取締役大山泰弘が東宮御所に参上
昭和49年 1月 大山泰弘代表取締役に就任
昭和50年 9月 神奈川県川崎市高津区に全国で初めての
心身障害者多数雇用モデル工場第1号を開設
昭和50年 9月 ジョイント事業部設置
昭和52年 9月 日本工業規格(JIS)表示許可工場となる(川崎工場)
昭和54年 9月 労働大臣賞を受賞する(美唄工場)
昭和55年 5月 医療用具製造工場として許可される
昭和56年 5月 北海道美唄工場も心身障害者多数雇用モデル工場開設
昭和56年12月 国際障害者最終年に社長大山泰弘
内閣総理大臣表彰を受ける
平成元年 9月 労働大臣賞を受賞する(川崎工場)
平成 2年 2月 資本金2、000万円に増資
平成 4年 4月 労働大臣近藤鉄雄先生ご一行川崎工場視察
平成10年5月 川崎工場に「働く幸せ」のブロンズ像が据えられる
(彫刻製作及び寄贈 松阪 節三氏)
平成 4年12月 社員藤木煥子(知的障がい者勤続41年)
内閣総理大臣表彰を受ける(川崎工場)
平成13年 7月 川崎市より市制77周年にあたり、勤続20年以上の川崎工場社員 (障がい者19名含む)が、産業経済発展に寄与したと表彰された
平成14年 8月 社員松田清一、大沼行夫(知的障がい者勤続33年)
厚生労働大臣表彰を受ける(美唄工場)
平成15年 9月 社長大山泰弘
厚生労働大臣表彰、日本障害者雇用促進協会会長表彰を受ける
平成16年 1月 神奈川県優良工場表彰を受ける(川崎工場)
平成16年 4月 社長大山泰弘
平成十六年春の叙勲、瑞宝単光章を受ける
平成17年 2月 企業フィランソロピー大賞特別賞 [社会共生賞]受賞
平成20年 2月 ものづくりブランド300社に入選
平成20年 4月 大山泰弘会長に就任、大山隆久代表取締役に就任
「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司先生著)にて紹介される
平成21年 2月 会長大山泰弘 渋沢栄一賞を受賞
平成21年 7月 キットパスきっず12色「ISOT2009日本文具大賞機能部門グランプリ」受賞
平成21年 7月 キットパスきっず12色「キッズデザイン賞」受賞
平成21年 10月 鳩山由紀夫内閣総理大臣が日本理化学工業川崎工場を視察
平成22年 10月 東京商工会議所より 勇気ある経営大賞を受賞
平成22年 10月 リデュース・リユース・リサイクル推進功労者 農林水産大臣表彰を受ける
平成22年 12月 バリアフリーユニバーサルデザイン推進功労者 内閣総理大臣表彰を受ける
平成23年 11月 文部科学大臣発明奨励賞を受ける
平成23年 12月 エコプロダクツ大賞 審査委員長特別賞を受ける
平成24年 1月 フランス(パリ)MAISON&OBJET に初出展
平成26年 3月 ダイバーシティ経営企業100選に入選
平成27年 9月 社員 谷藤正昭 雇用支援機構理事長賞を受賞
平成28年 8月 NY NOW初出展、「SustainAbility: design for a better world」受賞
平成29年 5月 「虹色のチョーク」(小松成美さん著)にて紹介される引用:日本理化学工業株式会社HP:http://www.rikagaku.co.jp/company/history.php
日本理化学工業が知的障がい者を雇用したきっかけとは?
大山康弘さんは、入社3年目に初めて知的障がい者の雇用をはじめたのですが、そのきっかけとは、会社の近くにあった養護学校の先生が訪ねてきたことがきっかけでした。
養護学校の先生は、卒業予定であった2名の女の子の採用をお願いしに大山康弘さんの会社へ訪ねましたが、当時の康弘さんは優しさから、その2名の雇用を2度断りました。
理由は、一生幸せにしてあげられるかどうか自信がなく責任を持てないという理由からでした。
しかし、養護学校の先生は再び康弘さんの元へ足を運び、今度は「採用してもらえないとしてもいいから、数日だけでも職場体験をさせてくれないか」というお願いをしにきました。
養護学校の先生が何度も康弘さんの元へ足を運んだ理由は、この2名の卒業生たちに何ができるかを職員室で考えていたところ「チョークならかんたんに作れるのではないか?」と考えチョークの包装を見たところ、「日本理化学工業」と書いてあったことから康弘さんの元へ足を運びました。
しかし2度断られてしまうのですが、3度も足を運んだのは、卒業生2名は就職が決まらないと、働くことを一生知らずに施設へと入ってしまうことをさせたくなかったからでした。
養護学校の先生の熱い想いに、康弘さんは2週間だけという条件で、2人の女の子たちの実習を受け入れるのですが、実習最後の日に、1人の社員が「こんなに一生懸命やってくれているのだから、私たちが面倒をみますから2人を雇ってあげてください」と申し出てくれたことがきっかけで、養護学校の卒業と同時に2名の本採用をしました。
知的障がい者の雇用が増えた理由とは?
2人の知的障がい者の採用から、現在社員の7割が知的障がい者という形になりましたが、なぜ毎年卒業生を受け入れることになったのかは、康弘さんが、ある法要の席で出会ったお坊さんの言葉が念頭にあったからだと言います。
その言葉とは、人間の究極の幸せは「人に愛される事、人に褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされること」の4つだということです。
康弘さんは、障がい者の人達も働くことで幸せになれるのであれば、会社は利益を出すとともに社員に幸せを提供する場でなければならないと考えました。
知的障がい者の雇用で大変だったこととは?
知的障がい者の賃金とパート職員の賃金が同じであることから、不満が出たこともあったそうですが、康弘さんは知的障がい者に対して最低賃金の適用除外を申請したことはありませんでした。
パートさんたちには「お世話手当」を出すことで、この危機を乗り越え現在の雇用体系が浸透しています。
賃金だけではなく、仕事をする上でも知的障がい者を雇うということは大変で通常に与えられた業務に適応してもらうことが難しかったそうです。
康弘さんは、知的障がい者でも理解できる方法を職員と試行錯誤し、数字を理解できない知的障がい者には色別で仕事を覚えてもらうなど、与えられた業務を職員が考えて取り組むのではなく、知的障がい者を育て業務が行えるように指導する方法に力を注いできました。
健常者の方には、知的障がい者への指導方法も徹底して教え、仕事が覚えられなかった場合には健常者の教え方に問題があるのだと認識させてきました。
現在では、職員と毎月1回話し合いをして、どのようにすれば会社がよくなるかを話し合えるまでの環境になっています。
日本で1番大切にしたい会社である理由とは?
康弘さんは会長へ就任し、現在では康弘さんの長男にあたる隆久さんが3代目社長になられましたが、業務に対して、「これからはチョークだけに頼るのは難しい時代」と感じており、新事業や商品に取り組まれています。
現在の雇用形態は、康弘さんが社長であった時と変わらず「知的障がい者雇用率7割。
重度の人達は、その中の5割、6割」であり、これからもずっと維持を続けていきたいと隆久さんは考えています。
自分たちの儲けではなく、知的障がい者たちを路頭に迷わせてはいけないという信念で、新しい事業にも取り組む、この会社の姿勢は、この日本において、絶対に失くしてはならない会社と誰もが思うのではないでしょうか。
【関連記事】