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愛敬実・愛敬重之・愛敬彰太郎 親子三代の五輪への挑戦が凄い!原晋監督の関係は?目指せ東京オリンピック2020
1/27 (日) MBS毎日放送(Ch.4) 19:00 ~ 20:54 消えた天才 ★青学・原監督が最も衝撃を受けた!消えた天才ランナー追跡★
番組概要
消えた「高校サッカー得点王」は今!45歳で無職…歴代No.1イケメンエースが主婦に大人気のスターに▽箱根駅伝!青学・原監督が人生で最も衝撃を受けた天才ランナー…不滅の日本記録樹立も五輪不出場?親子3代で挑む五輪の夢に涙▽フィギュア安藤美姫が人生で初めて負けた天才…14歳で消えた
原晋 wikiプロフィールやインスタ画像
原晋
はら すすむ
説明原 晋は、陸上競技指導者・コメンテーター・スポーツ解説者、元選手。現青山学院大学陸上競技部・長距離ブロック監督・同大学地球社会共生学部教授・関東学生陸上競技連盟評議員・GMOアスリーツアドバイザー・埼玉医科大学客員教授。妻は青学大町田寮・寮母担当の原美穂。 ウィキペディア
生年月日: 1967年3月8日 (年齢 51歳)
テレビ: 陸王
フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉 [ 原晋 ]
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原晋監督は2018年箱根駅伝で青山学院大学を4連覇に導いた言わずと知れた名匠です。
今年も、まさかの往路6位で出遅れたレースでしたが、復路で1位に返り咲き2019年箱根駅伝で総合2位に輝きました。
そんな原監督自身も学生時代は全国的に有名ランナーでした。全国高校駅伝歴代優勝数1位9回の世羅高校で主将として活躍しました。原主将率いるチームは見事、準優勝に輝きまいた。
その後、中京大学に進学した原監督は衝撃的な天才ランナーに出逢ったそうです。
その名は、愛敬重之さん。名前の読み方は「あいきょうしげゆき」さんです。
愛敬重之 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:愛敬重之 あいきょうしげゆき
得票数:2463当
年齢:50
性別:男性
党派:無所属
新旧:現
主な肩書き:NTN株式会社桑名製作所社員
ウェブサイト:http://www.aikyo-kuwana.net/
愛敬重之の天才ぶり
・5000m、1万m、駅伝ロングの区間をチームの柱として牽引していた
・トラック競技も天才的で、3000m障害では他に類を見ない天才だった
・3000m障害とは高さ90㎝程のハードルが4つと水壕と呼ばれる障害物があるコースを計7週するため最も過酷なトラック競技といわれている
・3000m障害で大学生にして世界陸上の予選を突破し、日本ジュニア記録を更新し35年経った今も破られていない
・カーマニアでスポーツカーで大学に通っていた
・ほとんどウォーミングアップせずレースに参加し好成績を残す
・1983年のプレ・オリンピック(国際大会)に19歳で日本人たった一人参加し、レースを引っ張る走りで準優勝
・19歳で世界陸上準決勝進出 日本ジュニア記録
・1500m障害高校チャンピオン
・トップレベルの国際大会、ユニバーシアード銅メダル獲得
・日本インカレ優勝
愛敬重之 消えた
愛敬重之さんは20歳で迎えるロスオリンピックで活躍を期待をされていましたが、日本代表にもならず、実業団に入った後も自己記録を一度も更新することなく表舞台から姿を消していきました。
父親 愛敬実
愛敬重之さんの父親は3000m障害の元日本一で、国体二連覇をするほどの実力を誇っていたそうです。
負けなし、敵なしを誇っていた愛敬重之さんは、父親である愛敬実さんに憧れ、オリンピックでメダルを目指していました。
愛敬実さんも現役時代、オリンピックでメダルを目指していました、欧米諸国の実力は凄く成し得ませんでした。
父親の果たせなかった夢をかなえたい、そして父を超えたいという強い思いもあり血のにじむような練習を重ねていました。
ところが、愛敬重之さんは第一線から姿を消してしまいます。何故なのでしょうか。
愛敬重之 消えた理由は?
愛敬重之さんは当時を振り返り、その事には今でも触れたくないというぐらい辛いそうです。
プレオリンピックで準優勝し、メダルまで視野に入っていた愛敬重之ですが、本格的なウェイトトレーニングも取り入れ、練習をしていました。
限界を超えるほどのトレーニングに励みましたが、それが悲劇を招くことになったそうです。
愛敬重之さんの身体は過度のウェイトトレーニングで悲鳴を上げていました。そして、ロスオリンピックまであと10か月というある日、右膝靭帯損傷という大きな怪我をしてしまったのです。
絶望の中にいましたが手術を受け、親子二代の夢を叶えるためわずか4か月で五輪選考会に立ちました。しかし、結果は惨敗。
オリンピックの切符を手にする事は出来ませんでした。絶好調のコンディションだっただけに、悔しくて悔しくてしょうがなかったそうです。
父親もその気持ちは同じでしたが、悔しさを押し殺し褒めてくれた父親に対し、そんな思いをさせてしまったことを申し訳なく、そして、切なく思ったそうです。
しかし、その後も愛敬重之さんは走ることを諦めませんでした。もう一度、父親に世界で活躍する姿を見せたいという気持ちからでした。
努力を続け、悲劇の怪我から3年の1986年、韓国ソウルで行われたアジア大会にゼッケン107番をつけ再び愛敬重之さんは姿を見せました。
怪我の影響が完全になくなったわけではなかったそうですが、再び国際大会の舞台に戻ってきました。そして、見事、一着でゴールを決めたのです。アジア大会優勝をスタンドで見守っていた父親に見せることが出来たことが嬉しかったと語っていらっしゃいます。
しかし、その後、調子は以前の様に戻らず、34歳で夢を叶えることなく引退されました。
愛敬重之 現在は?
あれから36年、愛敬重之さんはどうされているのでしょうか。現在、三重県桑名市で暮らしています。
現在は54歳、14万人の生活を支える三重県桑名市の市議会議員をされて8年目となるそうです。
40歳半ばで政治家を志したのは何故なのでしょうか?それは、2009年、青山学院大学が33年ぶりに箱根駅伝に出場したというニュースがきっかけでした。
指導者として原さんが頑張っている姿を見て、当時、目標や志がなかった自分も頑張らないといけないなと思い立ち、市議会議員になることを決心したそうです。
ちなみに、学生時代の原監督の印象はセンスはあるけれど練習しないだったそうです。練習をしていない割に大会でまとめ上げるスタイルだったと記憶しているそうです。
息子 愛敬彰太郎
中部実業団
400m予選
愛敬彰太郎(NTN)47.59 決勝へ100m予選
九鬼巧(NTN)10.54 -0.3 準決勝へ pic.twitter.com/xu7atnI2S4— EKIDEN News (@EKIDEN_News) 2017年5月14日
愛敬重之さんの息子、愛敬彰太郎さんも父親の後を追い陸上選手となっていました。父も祖父も日本一を樹立した陸上一家で、その夢はしっかりと受け継がれていました。
日本ユース選手権にも出場する実力で、高校二年の時に世代別日本一を決める400mの戦いで優勝しました。しかも大会新記録を樹立し日本一!
現在、愛敬彰太郎さんは父と同じ実業団で活躍しています。東京五輪に向け頑張っているそうです。
愛敬彰太郎さん!今後、目が離せない選手ですね!活躍に期待しましょう!
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