笠間法考(かさまのりたか)葛西紀明が才能に嫉妬した天才ジャンパーの現在は?年齢や経歴wikiプロフィールやインスタ画像など

笠間法考がスキージャンプを引退した理由は?葛西紀明が嫉妬する天才だった!現在の職業は?

 

4/21 (Sun) TBS 18:30 ~ 20:54 消えた天才 ★イチロー&松井秀喜が衝撃を受けた同世代の怪物SP★

 

番組概要
イチロー&松井秀喜が衝撃を受けた怪物ピッチャー!イチローが12打数2安打…高校時代に打てなかった怪物は、伝説の一戦の「ある事件」で消えた!28年ぶりに真相激白

 

今回の消えた天才は、

 

・球界の2大レジェンドイチロー・松井秀喜が衝撃を受けた怪物ピッチャー

・スキージャンプ界のレジェンド葛西紀明がその才能に嫉妬した天才

・あの美女アスリートは今?まとめて大追跡!

・奇跡の番狂わせを起こした奇跡のアスリートは今?

・日本史上初!浪人中に日本記録を出した唯一無二の天才

 

について紹介されました。その中でも今回はスキージャンプ界のレジェンド葛西紀明がその才能に嫉妬した消えた天才についてご紹介します。

 

その前に葛西 紀明選手についておさらいです。

 

葛西紀明選手はスキージャンプの選手で2014年ソチ五輪で日本に16年ぶりに金メダルをもたらしました。

 

当時の葛西選手の年齢は史上最年長の41歳、ギネス記録になっています。

 

オリンピックには19歳→21歳→25歳→29歳→33歳→37歳→41歳→45歳まで、史上最多の8大会連続出場を果たし、平成に行われた全ての大会を経験してきました。

 

46歳になった現在も現役で滑る言わずと知れたジャンプ界のレジェンドです。

 

 

葛西 紀明 wikiプロフィールやインスタ画像

名前:葛西 紀明
かさい のりあき
オリンピック選手
葛西 紀明 は、北海道上川郡下川町出身のスキージャンプ選手。東海大学第四高等学校から地崎工業 、マイカル を経て、現在は土屋ホームに選手兼任監督として所属。2005年度日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。血液型AB型。 ウィキペディア
生年月日: 1972年6月6日 (年齢 46歳)
生まれ: 日本 北海道 下川町
配偶者: 張磨 怜奈 (2014年から)
金: 1992 ハラホフ
子供: Rino

★公式ブログ⇒https://ameblo.jp/nori66nori/

 

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そんな葛西選手が才能に嫉妬した選手がいるそうです。

 

転載は全てにおいてバランスの取れた選手で、年齢は葛西選手よりも一つ年下で、メダリスト原田雅彦選手や高梨沙羅選手など強い選手を生み出した北海道上川町出身の選手だったそうです。

 

天才がどれほど強いのか、上川町でも有名で口をそろえて凄い人と語ります。

 

そのジャンパーの名前は、笠間法考と書いて、「かさまのりたか」さんです。

 

 

笠間法考 プロフィール

名前:笠間法考
かさま のりたか
笠間法考は、北海道 上川町出身の元スキージャンプ選手で現在上川町議会議員 ウィキペディア
生年月日: 1974年3月21日 (年齢 45歳)

 

笠間法考さんの知名度は町民の9割ほどだそうです。当時の写真を見ると、太ももが異常に凄い!

 

鍛え抜かれた身体を生かし、中学で全国大会優勝二回、高校でも全国大会優勝、大学でも全国大会優勝と脅威の成績を残しています。

 

大学時代に行われた1995年FISサマージャンプ大会では、長野五輪の金メダリストである原田雅彦選手など世界トップの選手が出場する中、優勝を果たしました。

 

五輪メダル最多国であるノルウェーの選手にも勝利したそうです。葛西選手は笠間さんに負けない様に刺激を受けていたそうです。

 

次世代の日本代表として期待されていましたが、2002年のソルトレイクシティの代表メンバーに笠間さんの名前はありませんでした。

 

それどころか、大学卒業後は国内大会から笠間さんの名前が一切出てこなくなったそうです。

 

 

笠間法考 引退した理由とは?

笠間さんが姿を消してから23年。

 

二人の関係は、笠間さんが葛西さんをのり兄、アニキと呼ぶ仲で、ライバルでありながら頼れるアニキ的存在で、当時は筋力的には絶対負けないという自信があったそうです。

 

しかし、ある時を境に成績が伸び悩むようになりました。

 

きっかけは1998年の長野オリンピックでした。日本団体金メダルは歓喜の名シーンでしたが、笠間さんにとっては、長野オリンピック直後に行われたルール改正が大きく影響したと言います。

 

長野五輪までは、

 

板の長さ=身長+80㎝以内でしたが、

 

板の長さ=身長の146%以内

 

というルールに改正されたそうです。

 

小柄な日本人選手には不利なルール改正でした。この改正が笠間さんにとって悲劇の始まりでした。

 

このわずか数センチの違いで、どんな影響があるのでしょうか。

 

当時、日本のエースだった舟木和喜選手は1cm違うだけで、5mほどの飛距離の差を感じたそうです。

 

このルール改正は今でも認めたくないアンフェアなルール改正だそうです。

 

小柄な笠間は身長は167㎝。板の長さが5㎝短くなり、体が今までの自分ではないような感覚だったそうです。そこから、記録を伸ばす事が出来なくなったそうです。

 

当時、身長の低い日本人選手には不利な改正でした。

 

身長が177㎝あった葛西選手には大きな影響がなく、小柄な選手は板の長さが変わる事により飛び方も変わるという大きな影響を受けてしまったのです。

 

それでも笠間さんは復活に向け、もがき続けたそうです。

 

笠間さんにとって目標はノリ兄、一緒にオリンピック出たいからと努力を続けたそうです。

 

体重を落とすと軽くなり絶対飛べるという考えのもと減量をしましたが、最大の武器だったパワーを捨て、飛距離を伸ばす道を選びましたがこの選択が悲劇を招きました。

 

無理な減量から摂食障害を引き起こし、体が今までの自分ではなくなってしまいました。

 

ルール改正から二年後、笠間さんは引退を考えていました。引退を最初に伝えたのは葛西選手でした。

 

引退の意思を告げると、葛西さんはその後悔の念を感じ取り、葛西選手が笠間選手にオリンピックを約束しました。

 

葛西選手は以前にもまして厳しいトレーニングを重ね、自分の夢を叶え続けてくれる葛西さんを笠間さんも応援し続けました。

 

この様に、笠間さんの引退の直接的な理由はルール改正でした。

 

 

笠間法考 現在は?

笠間法考さんは現在、45歳。吉川晃司風でとてもカッコよくなっています。筋力が落ちて瘦せたそうです。

 

現在は奥さんの純葉さんと三人の子供に恵まれ幸せに暮らしています。

 

笠間さんは今、上川町議会議員をされています。故郷を盛り上げるべく奮闘されています。

 

ルール改正がなければどうなっていたかという問いに、「ルールはルール。対応できなかった自分が悔しい」と潔い回答をされていました。

 

後悔は最初あったそうですが、今は、葛西選手に託し、一年でも長く頑張ってほしいという気持ちだそうです。

 

 

笠間法考 まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

葛西紀明が才能に嫉妬した天才ジャンパーは笠間法考さんでした。

 

長野オリンピック後のルール改正により、身長が低かった笠間法考さんに不利に働き、失速してしまったのが引退の理由でした。

 

 

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