ユーバーリンゲン空中衝突事故とは?アフターマスで映画化されたドイツ上空で2機の航空機が空中衝突した事故概要

ビタリー・カロエフ(Vitaly Kaloyev)悲しき殺人者の現在やユーバーリンゲン空中衝突事故が引き起こした悲劇とは?

 

2019/5/23 (Thu) 関西テレビ 19:57 ~ 21:48  奇跡体験!アンビリバボー2時間SP 一つの事故により未来を失った二つの家族

 

番組概要
2機の航空機が空中で衝突!史上最悪の航空機事故で家族を失った一人の男と運命の歯車が狂った男!その後家族たちの運命は大きく変わる。驚きの結末とは!?

 

 

今回、アンビリバボーで放送されるのは2002年7月に起こったドイツ上空で2機の航空機が空中衝突した前代未聞の航空事故「ユーバーリンゲン空中衝突事故」についてです。

 

この事件は生存者0という悲惨な航空事故で、2017年にアーノルド・シュワルツェネッガーが主演を務め『アフターマス』というタイトルで映画化されていますが、映画では舞台がアメリカとなり、多少、ストーリーが変わっています。

 

一体、どんな航空事故だったのか、そしてこの事故によって家族を失った男性にはどんな結末が待ち受けているのでしょうか。

 

ユーバーリンゲン空中衝突事故についての概要はこちらになります。

 

 

ユーバーリンゲン空中衝突事故 wiki

Uberlingen mid-air collision

発生日付 :2002年7月1日
概要 :空中衝突
現場 :ドイツ ユーバーリンゲン
死者総数 :71(全員)
生存者総数 :0

 

 

ユーバーリンゲン空中衝突事故は、2002年7月1日21時35分 UTC に発生しました。衝突した二機はロシアのバシキール航空2937便と定期貨物便のDHL611便で、ドイツのユーバリンゲンに墜落し、機体が30㎞四方に渡って飛び散っていたと言います。

 

バシキール航空2937便には乗客大人子供を合わせ60人と乗員9名が、DHL611便にはパイロット2人が搭乗しており、両機に搭乗していた71人全員が命を失うという大変痛ましい航空事故となりました。

 

バシキール航空2937便に搭乗していた大半の人は、数学オリンピックで優勝したご褒美でスペインへのツアーに招待されたロシアの小中学生及び引率の教師たちで、同国大統領府及び政府閣僚の子供たちも含まれていたそうです。

 

衝突事故の原因は?

事故の原因とされるのはスイスの航空管制システムの欠陥、並びに航空機に搭載される衝突防止装置TCAS(ティーキャス)と管制のいずれを優先すべきかの国際的基準の曖昧性にあったとして、2004年5月19日に連邦航空機事故調査局によって結論付けられています。

 

TCASとは

周辺を飛行する飛行機とレーダーで情報を交換、常に互いの位置関係を割り出すシステムで衝突の可能性がある場合、音声で警告を発します。

 

その精度は3mの高度差を認知し、下にいる機には「降下せよ」、上にいる機には「上昇せよ」と指示を出しパイロットが指示に従うことにより危機を回避する事が可能となるシステムです。

 

接近の警告は双方の機体が接触する約50秒前から発せられ、その後も危険が回避されない場合、「上昇せよ」「降下せよ」という具体的な指示を発します。

 

そのそも飛行機は安定飛行の状態で一秒間に5mの上昇、下降が可能で、10秒間あれば50m高度を変えることが出来ます

 

機体の高さは縦の高さは約12mで10秒前でも余裕で回避可能で、50秒前ならなおのこと余裕で回避ができます。

 

空中衝突の疑問

「TCASという最新の安全装置があるにもかかわらずどうして防げなかったのか」

「管制官の指示とTCASの指示が真逆になったのは何故なのか」

「管制官は何故応答しなかったのか」

 

この疑問を紐解くために、バシキール機、DHL機、管制室、それぞれに起こっていた時系列はこちらです。

 

バシキール航空2937便の場合

【20時48分】

バシキール機は2002年7月1日、現地時間20時48分にロシアからスペインバルセロナに向け離陸しました。

 

離陸後まもなく当初の予定通り、高度36000フィートを順調に飛行し、ドイツ領空内に入って17分後のことでした。

 

【23時33分18秒】

レーダーを見ていたクルーが自分たちの機体に近づいてくる機体を確認しました。この時点では2機の間の距離はまだおよそ49㎞ほどありました。

 

【23時34分36秒】

その1分18秒後に、機長は10時の方向にDHL機を目視で確認しました。しかし、時速900㎞で飛行する飛行機はこのわずか1分18秒の間に両機の距離は18㎞にまで縮まっていました。

 

6秒後、TCASが危険を警告しました。

 

【23時34分49秒】

TCASが最初に警告を出してから7秒後、同じ高度で飛行する機体があるため、至急高度35,000フィートへ降下せよという指示を管制官から受けました。1000フィート、すなわちおよそ300m高度を下げろという指示でした。

 

機長たちは13秒前に同じ高度の機体を目視していたため、驚く指示ではありませんでした。機長は管制官に従い降下しました。

 

【23時34分56秒】

ところが指示に従って7秒後、TCASから音声で「上昇せよ」という管制官とは真逆の指示が入ったのです。しかし、直後に管制官から「下降せよ」という二度目の指示が入りました。

 

機長は管制官の指示に従い「降下」しました。

 

【23時35分13秒】

その10秒後、「2937便2時の方向から飛行機」と管制官から言われますが、レーダーでは10時の方角から接近しており、2時の方向には機体は見当たりません。

 

【23時35分32秒】

管制官が「2時の方向に飛行機」と告げてから18秒後、実際に機体が現れたのは10時の方向からでした。そして、DHL機とドイツ上空で衝突し墜落しました。

 

衝突の直前、クルーや乗客からは衝突の1秒前にやっと飛行機と認識できる状態だといいます。その距離約360㎞。遅るべきスピードで衝突し、気づいた時にはすでに時遅しという状況でした。

 

ブラックボックスにより、機長が迫りくるDHL機に気づいた衝突1秒前、管制官の指示とは逆に機体を上昇させようと操縦桿をいっぱいに引きあげていた事が分かっています。

 

DHL611機の機内の場合

【23時6分】

2002年7月1日、定期貨物便DHL611便は23時6分にイタリアのベルガモからベルギーのブリュッセルへ向けて離陸しました。

 

動機は貨物専用のため操縦士と副操縦士の二人だけでした。

 

操縦士は、管制室にフライトレベルを36000フィートに上げたいという許可ほしいと伝えました。飛行機は離陸してどの高度まで上がるか事前に決まっていないことがあるそうです。

 

その場合は飛行空域を担当する管制に許可を取る必要があります。

 

では何故、高度36000フィートなのか?これには理由があります。高度36000フィートは空気の濃度が薄いので抵抗を減らせることもあり、また最低限の酸素もあるため最も効率がいい高度だからです。

 

【23時21分50秒】

管制室より上昇許可は4、5分で出すので許可を待つように返答がありました。離陸から15分が経過したころ、管制会社の担当空域がスイスになっていました。

 

【23時26分36秒】

DHL機が上昇を希望してからおよそ5分後、管制官より改めて「611便、フライトレベル36000フィートを許可する」と回答がありました。

 

そして機体は高度36000フィートに向け更に上昇しました。

 

【23時34分42秒】

しかし、それからおよそ8分後、36000フィートを飛行中に異変が起きます。その14秒後、TCASより「接近」という警告を発し、次に音声で「降下せよ」と具体的に警告をしたのです。

 

それはバシキール機に対して発した警告と全く同じタイミングで事故の50秒前でした。

 

TCASからの指示はDHL機に対しては「降下せよ」、バシキール機に対して「上昇せよ」というものでした。

 

DHL機はTCASの指示に従い「降下」しました。が、バシキール機がTCASの指示には従わず管制官の指示に従い同じく「降下」していることも知らずに・・・レーダーは性能的に緊迫した状況下で相手の動きを把握するのは困難です。

 

【23時35分10秒】

事故の22秒前、さらにTCASからは「降下率を増加せよ」と更なる指示が入りました。

 

【23時35分19秒】

事故の13秒前、機長は管制官に「611便、TCASの指示に従い降下中」と連絡を入れますが応答がありませんでした。DHL機のクルーたちには分かりません。

 

【23時35分30秒】

事故の2秒前、フライトレコーダーにより「急降下!!!」と叫ぶとともに操縦桿は前方一杯に倒されていたことが分かっています。

 

管制室の場合

管制業務の仕事とは

管制業務は飛行機が飛ぶ高さによって3つの種類に分かれているそうです。

 

①空港の管制塔:主に目視で離着陸する飛行機のサポート

②進入管制:レーダーによる監視で離発着の手助けする

③航空路管制:レーダーによる監視を行いながらより広い範囲で飛行機が円滑な飛行が出来るように調節する

 

管制エリアは世界中に張り巡らされており、それぞれの空域でサポートを受け目的地まで飛行します。

 

衝突事故があった空域はスカイガイド社という民間の会社が請け負っていました。航空路管制に加え、進入管制の業務も行っていたそうです。

 

通常は、別々の場所で行うのが一般的ですが、スカイガイド社はこの2つの業務を同じ場所で行っていました。

 

事故発生時、2人の夜間担当の管制官が席につきました。ピーター・ニールセンの業務は高度を適切にコントロールする航空路管制、そして、もう一人は進入管制を担当していました。

 

この空域は日中とても混雑していますが、夜間はフライト量が少なくとても空いています。

 

このため、業務は一人で大丈夫だろうと、それぞれが交代で休憩を取る事にし、管制官はピーター一人だけになりました。

 

これは明らかな規則違反でした。しかし、航空管制官の人手不足と合理化をすすめるスカイガイド社では上層部からも黙認されていたそうです。

 

しかし、この日はいつもと違いました。メンテナンス部の担当者がやってきて、レーダーシステムの更新作業を行うというのです。

 

メンテナンス担当者は予備の管制システムがあるので問題ない、また電話回線も効率を上げるためにオフにしたいと申し出しましたが、ピーターは直感的に不安を感じ断っています。

 

メンテナンス担当者はピーターが一人で勤務していることを規則違反だと認識していましたが、黙認しています。

 

メンテナンス担当者が作業のため部屋を出てすぐ、ピーターは進入管制用のレーダーが反応しました。

 

23時を過ぎた夜間に最寄りの空港へ旅客機が接近していました。

 

これはアエロフロート1135便で予定を大幅に遅れたため本来離発着がない時間帯に着陸を希望してきたのです。

 

飛行機を着陸させるためには空港との連携が必須です。進入管制業務を優先させる規則があるため、ピーターは対応に追われることになりました。

 

【23時21分50秒】

ちょうどその時、DHL機が管制官へ高度35000フィートに上げていいかと許可を取ってきました。

 

ピーターは4、5分待つように一旦、保留しました。この間、進入管制業務を優先し、空港へ着陸許可を貰うべく電話をしますが空港との直通電話が繋がりません。

 

ピーターは何度も電話を掛けますが繋がりません。

 

【23時26分36秒】

事故の9分前、ピーターはDHL機へ高度上昇許可を出すことを保留にしていた事に気づき、連絡を取り上昇許可を出しました。

 

そして再び空港と連絡を取ろうとしますが、空港と連絡が取れません。この時、やはり電話回線は切れていました。

 

メンテナンス担当はピーターに電話回線を切らないと約束していましたが、上司に作業中は電話回線を切るように指示され、ピーターには知らせずに勝手に回線を切っていた事が後に分かっています。

 

そうとは知らず、何とか空港と連絡を取ろうと試みますが、この間にピーターとんでもないものを見逃していたのです。

 

【23時29分】

それは、バシキール機が管轄内に入ってきたことを見逃していたのです。バシキール機は管制室へ飛行レベルの連絡もしていました。

 

しかし、アエロフロート1135便のイレギュラーな着陸要請を受け、空港と電話がつながらない事も相成り別の業務に没頭していたピーターはバシキール機が入ってきたことも、連絡があったことも見逃していたのです。

 

不運なことにバシキール機はDHL機と全く同じ36000フィートを飛行していました。

 

事故調査の結果、管制官はある一定の時間、2機の飛行機の監視を怠ったと結論付けられています。

 

こうして同じ高度で飛び続けていた2機ですが、この時点ではまだ50㎞も離れており、衝突を回避する時間は十分にありました。

 

そして、管制官室には衝突まで2分を切った時点でレーダー上に警告の文字を表示し危険を知らせるというシステムが備わっており、更に30秒前にもアラームが鳴り、音で警告を発するというものでした。

 

しかし、衝突2分前にも警告は表示されませんでした。システムメンテナンスのため作動していた予備の管制システムに問題があったためです。

 

この予備の管制システムでは一度目の警報装置が作動しなかったのです。メンテナンスの作業員も管制官も誰一人その事を知っている人はいませんでした。

 

スカイガイド社では予備の管制システムのマニュアルもなく、非常事態の訓練すら行われていなかったのです。

 

こうして2機の接近に気づかなかったピーターはアエロフロート1135便との交信を続け、電話がつながらないことから直接、空港とやり取りするよう依頼しました。

 

そして、その7秒後、自分の持ち場に戻ったピーターは接近するDHL機とバシキール機の存在に気づいたのです。この時、衝突の43秒前でした。

 

この時点で、ピーターはすぐさまバシキール機2937便に対して降下を指示しました。

 

DHL機に対しては上昇許可を認めたばかりで恐らく訂正しづらかったため、バシキール機にだけに変更を求めた可能性があります。

 

【23時35分00秒】

その11秒後、衝突32秒前に管制室にあるもう一つの警報装置が作動しました。2機の接近を知らせる警告音が鳴り響きました。この時点で衝突30秒前です。

 

まさか指示が伝わっていなかったのかと思ったピーターはバシキール機機に再度降下を命じると今度は機長から「了解」と回答がありました。

 

更に10秒後、念のために3度目の交信をしました。この時、何故かピーターはバシキール機に対して2時の方向に飛行機が接近誤った情報を伝えてしまいました。

 

誤った情報を伝えたことも気づかぬまま、バシキール機が降下するのをレーダーで確認し、衝突を回避したと判断しました。

 

そしてこの頃、アエロフロート1135便が再び着陸の連絡をしてきたため、対応に追われました。

 

数十秒後、アエロフロートとの対応を終え、ピーターがレーダー上に赤い丸が点滅しているのを見て愕然としました。

 

それは通信がその地点で途絶えたサイン墜落を意味するものでした。

 

何気ないミス、想定外の出来事が大きな惨事を招いてしまいました。

 

どうして、ピーターはDHL機とバシキール機に対して同時に交信を行わなかったのでしょうか。

 

実は、彼らが使用していた航空無線は1対1でしか交信できず、相手が話している時は聞こえないという一方通行のものでした。

 

そしてDHL機→TCASに従い、バシキール機→管制官に従ったのかという疑問が残ります。

 

これは、「安全な航路を目視できる時以外はTCASによる回避指示に従うべきである」とDHL機のマニュアルには記載されていましたが、バシキール機を運用する会社のマニュアルには「航空管制官の指示は衝突回避において最優先にすべきである」と記載されていたのです。

 

国際的にルールが明確化、共通化されていなかったのです。

 

家族を失ったある男性の人生

ビタリー・カロエフ(Vitaly Kaloyev)という男性はその日、久しぶりに家族が会いに来るのを楽しみに空港で待っていました。

 

電光掲示板を見ると「遅延」となっていたのに何故か文字が消えてしまいます。そして、航空スタッフより告げられたのはあまりにも残酷な事実でした。

 

カロエフは墜落したドイツの現場へ向かい、家族が載っていた飛行機の残骸を集めそうです。妻と息子を見つけることは出来ませんでしたが、ほとんど傷を負っていない愛娘の姿がありました。

 

まるで眠ったように息絶えていたそうです。カロエフはこの飛行機事故により妻と息子、娘を亡くしました。

 

晩婚で子供だけが生き甲斐で全てだったカロエフは事故をきっかけに働く意欲を失い、ロシアの実家でこもりがちになりました。

 

子供部屋を飾り立てホームビデオを何度も何度も毎日見続けたそうです。今までの蓄えと援助で生計を立てていましたが、カロエフはいつまでも喪に服していました。

 

しかし、カロエフにはどうしても分からないことがありました。それは、なぜ妻と子供は死ななければならなかったのかということ。

 

ロシアでは、事故直後から航空管制官のミスが大惨事の原因である可能性が高いと報じられていました。

 

ピーターという名前こそ明かされていませんでしたが、当日、一人で担当していた管制官が接近を見逃し、誤った指示をしたことが知らされていました。

 

遺族たちが最も納得がいかなかったのがスカイガイド社の規則違反でした。誤った合理化が生んだミスだと訴える一方で、スカイガイド社は自らの責任を認めず、当初、ロシア人パイロットは英語が苦手で管制官の英語を理解していなかったと発言していたのです。

 

ブラックボックスが回収され、ロシア人パイロットの英語力に問題はなかったと結論付けられているにも関わらず、ヨーロッパ中の主要メディアがスカイガイド社に責任はないというスタンスで報じていたと言います。

 

スカイガイド社は当時ヨーロッパ全体で機運の高まりを見せており、航空管制を民営化した先駆けでした。もしスカイガイド社の責任が問われると民営化に影響が出るからだとも言われています。

 

しかし、ロシア国民の怒りは収まらず、スカイガイド社は後に遺族に対して補償をすることを発表しましたが、カロエフの怒りはまだ収まっていませんでした

 

それは、お金より大切なある事をスカイガイド社が行っていなかったからです。それは正式な謝罪でした。

 

しかし、カロエフはスカイガイド社へメールをしたり電話をして謝罪を求めますが、調査中という事でスカイガイド社からは何の対応もありませんでした。

 

裁判もあるため容易な発言は出来ないスカイガイド社は、補償として日本円で1500~2000万円を申し出ていました。それはカロエフのかけがえのない家族の命の値段でした。

 

スカイガイド社が提示した条件では、補償する代わりに他に何も要求するなというものでした。

 

カロエフはそれでは家族が浮かばれない、ちゃんと謝罪して今後に活かしてほしいと要求し続けました。

 

しかし、スカイガイド社にとって、責任を認めることにより民事裁判がおこり遺族から賠償を請求される恐れがあるため、それを避けるべく自己責任が証明されない限り何も言わないというのがスタンスでした。

 

裁判が決着するまで謝罪はしないというスカイガイド社、そして、一人勤務を黙認したスカイガイド社の上層部、メンテナンスのリーダー、何より、あの管制官は告訴さえされる事さへないという事実でした。

 

管制官のピーターは事故後、報道によりあの管制官は職を辞してマスコミにも一切姿を現さず世間から忘れ去られようとしていると知りました。

 

彼のミスがなければ妻と子供は死なずにすんだはずだと、スカイガイド社に対して管制官に会わせて欲しいと願い出るカロエフは、ピーターがまだ解雇されることなく社員として他部署で勤務しているという事実を知りました。

 

ますます怒りがこみ上げるカロエフは後日、捜査関係者からその管制官が事故前と変わらない生活を送り、週末には家族で休暇を過ごしているという事実を知ることになります。

 

カロエフはその後も面会を申し出、会社からは無視され続けましたが、決して諦めませんでした。補償金を拒否し続け、自ら探偵を雇いその管制官の名前を突き止めたのです。

 

そして、様々な捜査関係書類から管制官はトレーニングを受けていなかったという事を知ります。

 

手順の誤り、注意散漫、重要な行動の無視が危険を招いたという事実、管制官の大きな過失を知る度にカロエフは複雑な感情を抱くようになりました。

 

そんな時、ピーターが転職を考えていると知り、一人だけ逃げようとしていると感じたカロエフは悲しみが怒りに変わろうとしていました。

 

しかし、実際、カロエフが入手した情報は杜撰で誤りだらけのものでした。

 

旅行は精神的ショックから立ち直れない夫のために妻が計画したもので、あの事故のショックでピーターは精神を患い病院でカウンセリングを受けていました。

 

まだ我が社の社員というのにも理由がありました。ピーターは確かにミスを犯しましたが会社に蔓延していた悪しき慣習が大元の原因で会社がピーターを解雇することは出来なかったのです。

 

そして、転職に関しても辛い経験をした職場で働き続けるのは負担になると妻が進言したためでした。

 

しかし、ピーターにはもう収まった怒りを鎮めることは出来ませんでした。

 

カロエフは、2004年2月24日、事故から1年半後、スイスのチューリッヒ近郊で航空管制官ピーター・ニールセンをナイフで刺殺し、殺人事件という最悪の結末を迎えてしまったのです。

 

探偵事務所はピーターの自宅の住所も調べ上げ、ついにカロエフはピーターに会いに行きました。

 

カロエフは「これが私の家族です。見てください」とピーターにに見せようとしました。そして、家族を殺したことを謝って欲しいという言いよりますが、ピーターは「あれは事故だった。帰ってください」と写真を振り払われたそうです。

 

カロエフはその場でピーターを刺殺しました。夫の悲鳴を聞き、妻が駆け寄った時にはすでに大量の血を流していました。ピーター・ニールセンは妻と3人の子供を持つ父親でしたが、38歳という若さでこの世を去りました。事件当時、ピーターの妻も子供もその場にいたそうです。

 

カロエフは市内のホテルで5人の警察官に取り押さえられ逮捕されました。

 

放心状態だったカロエフの自殺を懸念した警察は病院へ収容しました。飛行機事故で家族を失ったカロエフが管制官を殺害したと衝撃的なニュースとなりました。

 

カロエフがした事は決して許される事ではなくスイスでは冷酷な殺人者として見られていますが、ロシアでは全く別の見方をされています。

 

カロエフのした事を好意的に捉える人が多く、英雄のように扱われたそうです。

 

事故が殺人事件に発展したことを初めて重く受け止め、スカイガイド社は正式に謝罪をしました。

 

謝罪が遅れた理由について、同社は大事故が起こった時にどのように対応するのか社内で決めていなかったことを理由に謝罪が遅れたことを認めました。

 

殺人事件から1年半後、判決が下さりました。

 

裁判でカロエフは動機について、直接的原因を作ったにも関わらず、会社を解雇されることもなく、家族と変わらず暮らしているように見えるピーターにどうしても会いたかった。

 

妻や子供のために一言でいいから謝罪してほしかった。しかし、その思いは空しくピーターは写真を手で払いのけたため思わず刺してしまったと・・・。

 

殺人事件から1年半後、2005年10月28日、注目の判決が言い渡されました。ポケットにナイフを忍ばせていたことから計画犯だとみなされ懲役8年でした。

 

判決から2年後、事故から5年が経った2007年9月、航空機事故の裁判も終わりを迎え、全面的にスカイガイド社の過失が全面的に認められました。

 

会社の幹部3人は過失致死罪で有罪となりましたが、執行猶予つきでした。メンテナンス業務のリーダーには事故の要因を作った事に対して罰金刑約150万円のみでした。

 

この判決から2年後、2007年11月、カロエフは空港で熱烈に迎えられていました。

 

スイス裁判所は犯行当時、ヴィタリー・カロエフ心神喪失状態で全行動について責任能力を問うことはできないとの判断を下し、カロエフ受刑者の刑期が5年3か月に減刑されたのです。

 

帰国して真っ先に向かったのは妻子が眠るお墓でした。

 

のちにカロエフは殺したことで気持ちが晴れることはない。憎しみでは何も解決しない事を知ったと語っています。

 

ヴィタリー・カロエフの現在は?

ヴィタリー・カロエフ (建築家)
生年月日: 1956年1月15日 (年齢 63歳)
生まれ: ロシア ブラジカフカス

 

実はヴィタリー・カロエフは現在、再婚し子供が二人います。

 

刑期を終えてロシアへと帰国したカロエフは英雄として扱われました。北オセアチアで建築副大臣に任命され、60歳の時に州賞メダルを授与されています。副大臣の職は2016年に引退しています。

 

スイスからは収監費用を請求されたようですが、支払っていないそうです。ヨーロッパではカロエフが英雄のように称えられるのは管制官の子供たちに対する侮辱だと報じるメディアもありました。

 

ピーターの家族は事件後、故郷のデンマークへ帰国し公式には何もコメントしていません。

 

もう少し遺族の立場にたった対応があれば、一言でも謝罪があればカロエフ氏の心は殺人まで向かわず救われたのかもしれません。

 

そして、皮肉なことに家族を失った悲しみを誰よりも知っているはずのカロエフからかけがえのない家族を失ったピーターの家族に対して謝罪を行うことは最後までなかったそうです。

 

この悲惨な航空事故を機に殺人を犯してしまったヴィタリー・カロエフの人生を基に「アフターマス」というタイトルで映画化されていますが大きくフィクションが加えられています。

 

 

映画 アフターマス

アフターマス
原題:Aftermath
公開日: 2017年4月7日 (アメリカ合衆国)
監督: エリオット・レスター
興行収入: 67.42万アメリカ合衆国ドル
DVD発売日: 2017年8月28日 (スウェーデン)
原作者: ハビエル・グヨン

 

 

監督は「ブリッツ」のエリオット・レスターが務め、主演は、アーノルド・シュワルツェネッガー、その他に「アルゴ」のスクート・マクネイリー、「96時間」シリーズのマギー・グレイス、ドラマ『24』シリーズのグレン・モーシャワーなどが出演しています。

 

 

アフターマス あらすじ

建設現場で働くローマンは、数か月ぶりに帰ってくる妻と身重の娘を心待ちにしていました。しかし、妻と娘が乗っているはずの便は到着する様子はなく、空港に迎えに行ったローマンは、空港の管理会社から衝撃の事実を聞かされる。それは、家族が乗った飛行機が空中で衝突事故を起こしたというものだった…。実際に起こった<ユーバーリンゲン空中衝突事故>とその後に起こった事件を映像化した作品です。

 

 

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アフターマス トレイナー動画

https://youtu.be/_unw1Dr_ACc

 

 

ユーバーリンゲン空中衝突事故 Twitterニュース

 

 

 

 

日本でもニアミスが発生していた!

なんと日本でも2001年1月31日に同じような衝突事件が発生していたかもしれなかったそうです。

 

那覇行きJAL907便と釜山発成田行きJAL958便のこのニアミス事故は日本航空機駿河湾上空ニアミス事故と名づけられています。

 

原因は管制官が誤った指示を行い、片方のパイロットがTCASではなく管制を信じたために起きたものでした。

 

もし衝突していたら677名もの生命が危険にさらされていました。事態を重く見た日本の国土交通省は国際民間航空機関(ICAO)に対して同様の事故を防止するために調査を求めましたが何の対策も練られず放置されました。

 

結果、この悲惨な衝突事故を防ぐことは出来ませんでした。

 

事故後、管制官の指示とTCASの指示が相反する場合にはTCASに従うことが定められ、スイスのレーダーの安全性を向上させるために早急な改善対策が行われました。

 

そして、刺殺事件を受け、遺族に対する補償の用意がある事を表明したそうです。

 

 

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