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私生活では?
今から7年前、2012年にみやぎマックスのチームメイトでキャプテンを務めていたイケメン選手の藤井新悟さんと結婚をし、翌年、2013年に長男の蒼空(そら)君も誕生しました。
ちょうどその年の9月、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。
藤井郁美 旧姓は?
藤井郁美さんはの旧姓は「井上郁美」さんです。
藤井郁美 名前が三つあるのは何故?
藤井郁美さんは詳しい情報は見つかりませんが、一度、離婚されているのではないかと推察されます。
旧姓は「井上郁美」さんでしたが、田久保敏光さんと結婚され、一時期、「田久保郁美」さんという名前で記事にされています。
その後、田久保敏光さんと離婚し、藤井新悟さんと新たに再婚、「藤井郁美」さんとなった事により名前が三つ出てくるのではないかと考えられます。(しかし、離婚したという記事は一切見当たりません。)
藤井郁美さんを調べると名前が3つ出てくるため、何故と思う方がいるかもしれませんので、あくまでも推察ですが、考えられる理由を記します。
藤井郁美の夫について
田久保敏光さん?
田久保敏光さんといつ結婚したのか、離婚したのかという詳しい情報が全くありません。
ただ、田久保敏光さんも元車いすバスケットボール元日本代表で、車いすバスケを始めたころに出会ったという内容の記事が残っているので、推測するに宮城県に移住する前に二人は結婚されたのだと思います。
25歳で宮城県に移住し、会社勤めを辞め、仙台では時間を自由に使えるアルバイトに転身し単身赴任状態にあったようなので、26歳前後の2008年時点で二人は婚姻関係にあったと考えられます。
田久保敏光さんもバスケの日本代表で、藤井郁美さんも代表入りしたばかりの頃。お互いに与えた影響も大きかったことでしょう。
■参考記事:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200809080006-spnavi
藤井新悟
藤井新悟と郁美さんが結婚したのは、2012年、29歳の時です。二人は同じ宮城マックスのチームメートでした。
藤井新悟さんとの間には長男・藤井蒼空(そら)君がいます。コートの外でも心強い存在なのだそうです。
2020年のオリンピック後に息子さんが小学生になる年齢だそうなので、現在は4歳、5歳ぐらいですね。
藤井新悟さんは秋田出身で郁美さんは神奈川出身なので、子育ても両親に頼れず、障害がある中、夫婦協力して頑張っていらっしゃいます。
念願の夢が実現
2017年、郁美さんがチームに移籍してちょうど10年が経ったころ、郁美さんが34歳の時にある知らせを受け取りました。
次の日本選手権から女子選手の登録も認められるようになったという知らせでした。
「やっと来た」という思いで迎えた2017年5月、日本選手権当日、初めて女子が出場するということでメディアも注目していました。
体格の違う男子選手の間で本当にやれるのかと思われていましたが、郁美さん自身は今まで十分すぎるほど頑張ってきて、チームに貢献出来るという自信がありました。
この試合で、郁美さんは全試合出場し、準決勝で18点、決勝で13点を挙げる大活躍を見せました。
みやぎマックスの大会9連覇に貢献し、個人でも大会ベスト5に選ばれました。度重なる病気で、夢を閉ざされてきた郁美さんは遂に、日本一に輝くことが出来たのです。
そして、次は、新規一転、2020年の東京パラリンピックという選手の集大成とも言える目標が見えてきました。
藤井郁美選手の戦歴はこちらです。
藤井郁美 バスケ 主な成績
2006年 アムステルダム世界選手権(オランダ) 6位(日本代表 )
2008年 北京パラリンピックの女子日本代表 4位
2010年 バーミンガム世界選手権(イギリス) 7位 (日本代表)
2015年 全日本女子車椅子バスケットボール大会 準優勝
2017年 第45回日本車椅子バスケットボール選手権大会(宮城MAX)優勝 ※ベスト5受賞
2017年 大阪国際親善大会 女子日本代表 銅メダル
2017年 全日本女子車椅子バスケットボール大会 準優勝
2017年 第45回日本選手権車椅子バスケットボール選手権大会 優勝
そんな希望に溢れていたころ、3度目の病が襲い掛かります。
藤井郁美 3度目の病気
それは2017年7月のことでした。日本選手権からわずか二ヵ月経って3度目の病魔が郁美さんを襲いました。
乳がんでした。大切な人ができて、家族を持って、子供ができて、一番幸せな時だったため、精神的に一番つらかったそうです。
この時、郁美さんは手術で右の乳房を全摘しています。術後、病との戦いに疲れ果てた郁美さんはもう別にバスケをしなくても3人で食卓を囲むだけで十分幸せだなぁと思いました。
しかし、手術からわずか10日後、郁美さんはコートに戻ってきたのです。
どうして立ち直る事が出来たのでしょうか?
主治医や周囲のスタッフは最初から復帰するために色々考え動いてくれて、その都度その都度、頑張ろうと思わせてくれる人がいて、応援してもらったことで、郁美さんはまた続けようと思えたのだそうです。
かつては周囲を見返すために、自分自身の自尊心のために、反骨心だけで頑張ってきた郁美さんですが、次は支えてくれる人や応援してくれる人のためにプレーをしたいと感じました。
手術で取り除いた癌も今は問題ないということです。
復活を遂げた郁美さんは2018年の日本選手権にも男子に混ざって出場、チームの連勝に貢献し、二年連続ベスト5に選出されました。
そして、いよいよ来年、2020年の東京パラリンピックは、日本は開催国として出場することが決まっています。
恩師、岩佐監督は女子日本代表の代表監督に、そしてご主人の藤井新悟さんは女子日本代表のコーチに就任しました。
メダル獲得に向け、日々、チームの強化に尽力されています。
現在の郁美さんは選手として大舞台に立つことを目標にしているのはもちろんですが、今は、他にも大きな目標を見つけたそうです。
それは、自分が今まで大病を3度患い経験してきたことが誰かの役に立てば、もしくは、誰かを動かすきっかけになればいいなと思っているのだそうです。
これから、自分に出来ることを発信していくと語っていらっしゃいます。
藤井郁美 最新情報
藤井郁美さんは大阪で行われた女子車椅子バスケ日本代表の国際親善大会に参加しました。
大会には強豪国のオランダとイギリス、オーストラリアというメダル候補が勢ぞろい。体格の違う選手が多い外国のチームはゴールを打つのが有利です。
日本は身長が低い選手が多いのでスピードと外からのシュート率を上げることが欧米チームに勝つポイントです。
シュート率を上げるため、練習のない日まで監督と試行錯誤し練習メニューを考えたり取り組んできました。
初戦、オーストラリアと戦った日本は、なんと56対43で見事勝利をあげたのです。イギリスとも、世界チャンピオンのオランダとも、一歩も引かない闘いを見せ、54対60、54対64と僅差で敗れはしたものの、来年に向け大きなアピールとなりました。
そして、大会ベスト5には日本から唯一選出されたのは郁美選手でした。
藤井郁美 まとめ
藤井郁美さんは、車いすバスケ選手として活躍している現役選手です。
人生で3つの大病を乗り越え、結婚、出産を経験する中、2020年の東京パラリンピックを目指しているとてつもない精神力を持ち合わせています。
2019年3月7日放送のアンビリバボーでは、 1人の女性アスリートとして藤井郁美さんが幾度となく乗り越え挑戦し続けてきた過程が、その半生が紹介されました。
2020年の東京パラリンピックで藤井郁美選手がコートで輝いている事を願っています!
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