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古畑和彦・平石洋介・本橋伸一郎・石橋勇一郎など1998年PL学園 名場面を作った天才たちの現在は?
2019/4/7 (Sun) MBS毎日放送(Ch.4) 18:30 ~ 21:00 消えた天才 ★大関・貴景勝&金メダリスト小平奈緒が衝撃を受けた天才SP!
今回の消えた天才は、
・新大関・貴景勝を相撲に転向させた天才
・金メダリスト・小平奈緒が憧れた天才美女スケーター
・レスリング登坂絵莉が一度も勝てなかった天才美女
・松坂大輔率いる横浜高校と延長17回の死闘を繰り広げたPL学園のメンバーたちは今?
・不滅の大記録を樹立したアスリートは今?
今回は、松坂大輔率いる横浜高校と延長17回の死闘を繰り広げたPL学園のメンバーたちは今?ということで紹介されていた、古畑和彦さんと平石洋介さんについてご紹介します。
古畑和彦 消えた理由
4番サードだった古畑さんの中学校卒業後の進路は、
PL学園→
亜細亜大学野球部→
プロ入りならず
天才スラッガーが野球界から消えた理由とは一体何だったのでしょうか。
古畑和彦 現在は?
現在、古畑さんは東京に住んでいます。
チームメイトから任三郎とからかわれていたという古畑和彦さんはスーツが似合う男性になっていました。
真美さんという奥さんと二人のお子さん、長男の雄大(ゆうだい)くんと次男の太誠(たいせい)君に恵まれ幸せにくらしています。
PLの4番をつとめ、かつて天才と言われた古畑和彦さんですが、野球がそこまで好きではなかったそうです。
そして、かつてPLの4番という事で少し打てないと、「それでもPLの4番か」と言われ、随分、悔しい思いをしたそうです。
大学に入ってからは極度のスランプに陥り、試合にすら出る事が出来ない日々が続いていました。かつての栄光が重圧となり、苦しい思いをしていました。
そんな時、松坂大輔から電話があったそうです。すでにプロ入りし活躍していた松坂大輔でした。
実は古畑さんは高校卒業後、18歳以下の日本代表に選出されていました。チームメイトにはもちろん世代一番と言われていた松坂大輔もいました。
二人はプロになって一緒にプレイしようと語っていたそうです。そんな時に大学でスランプに陥っている古畑さんを励ますため電話を入れた松坂大輔は「頑張れ」と応援してくれたそうです。
当時は野球を辞めようとすら真剣に考えていた古畑さんですが、松坂大輔の激励で野球部は辞める事なく4年間全うしたそうです。
古畑和彦 職業は?
完全燃焼した古畑さんは、大学卒業とともに野球を引退し、現在は明治神宮外苑に就職し、神宮球場で飲食・物販を統括している販売部の主任をしているそうです。
中日戦があるときは松坂大輔のグッズも販売しているそうです。
古畑さんには将来の夢があるそうです。
休日は少年野球のコーチをしている古畑さんは自身の子供にも野球を教え、長男の雄大君のスウィングは父親の和彦さんそっくりです。
雄大君もお父さんを超えてプロ野球選手になりたいと力強く抱負を語っています。
1998年PL学園 名場面を作った天才たちは?
1番レフト 田中一徳→プロ入り
2番ライト 井関雅也→社会人野球コーチ
3番ショート 本橋伸一郎→社長
4番サード 古畑和彦→会社員
5番センター 大西宏明→プロ入り
6番ファースト 三垣勝巳→大学野球監督
7番キャッチャー 石橋勇一郎→社長
8番ピッチャー 稲田学→社会人野球コーチ
9番セカンド 松丸文政→大学野球コーチ
と、かつての高校球児からプロ入りするのはほんの一握りということが分かります。
皆さんそれぞれの道で新たな目標を持ち頑張っていらっしゃいますが、なんと、控えの選手から松坂大輔以上の大出世をした選手がいるそうです。
その名は、平石洋介(ひらいしようすけ)さん。
控え選手にも関わらず、キャプテンという異例の人間力と圧倒的なリーダーシップで癖が強いPLチームをまとめ上げていました。
3塁コーチの平石さんは松坂大輔の球種を読んでチームメイトに教えていたとファンの間では噂になっていたそうです。
実際に、小倉 清一郎さんが書いた参謀の甲子園 横浜高校 常勝の「虎ノ巻」の一節にも登場しており、
「平石さんが「行け行け」と叫んだときはストレート、「狙え狙え」と叫んだときは変化球とほぼ当たっていた」
と記されています。
平石洋介の現在は?
現在、平石さんは38歳で、沖縄に住んでいます。楽天のユニフォームを身にまとい、現在、プロ野球一軍の監督をしているそうです。
平石さんは社会人野球からドラフト7位で楽天に入団しました。プロ通算安打はわずか37本と目立って成績は残せず戦力外となりましたが、選手としての実績ではなく、人間力に白羽の矢が立ち指導者としてキャリアを積むようになりました。
そして、38歳最年少監督として異例の大抜擢をされました。
そんな大出世を果たした平石さんに当時の球種の話を聞くと、確かに見ていると大体どんな球がくるのか分かったそうですが、あくまでかく乱するために掛け声をしていただけで、自分のおかげで打てたなんて申し訳ない、実際は皆の実力で打っていたと語っています。
ということで三年間暗くを共にしたPLメンバーは大事な仲間としてお互いの存在に刺激をうけながら、そしてまたかけがえのない思い出として現在の糧となっていることでしょう。
かつての天才たちはそれぞれの道で活躍されていました。
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