会いたい人に会える橋 断橋の白蛇伝とは?中国浙江省西湖で生き別れた父母と娘の奇跡の再会が泣ける!2019年1月17日放送奇跡体験!アンビリバボー

白蛇伝(はくじゃでん)とは?中国浙江省 西湖の断橋で起こった奇跡の実話ドキュメンタリー動画あり!再会完結編

 

1/17 (木) 関西テレビ 19:57 ~ 20:54 奇跡体験!アンビリバボー【感動!奇跡は本当に起こる!親子22年の真実SP】

 

番組概要
引き裂かれた家族!生き別れた父母と娘!愛情を注いだ育ての親!七夕に動いた運命!13年前放送した物語には驚きの続き!会いたい人に会える橋で起きた仰天実話

 

中国浙江省にある西湖、この神秘的な湖にはある伝説の舞台として知られています。

 

 

その伝説は「白蛇伝」。蛇の化身である美少女がひとりの青年と恋に落ちます。

 

 

しかし、正体を見破った人間たちに湖に封じられ引き裂かれてしまいます。それでも二人は苦難の末に湖で再会を果たすというものです。

 

 

以来、この西湖にかかる橋、「断橋」(だんきょう)は「会いたい人に会える伝説の橋」として知られています。

 

 

そして、この橋には「白蛇伝」という伝説が語り継がれています。

 

 

会いたい人に会える橋伝説「白蛇伝」

 

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この伝説は、「白蛇伝」という中国の民間に語り継がれている伝説で、日本でも東映によってアニメ映画化されています。

 

 

白蛇伝とは?

白蛇伝
はくじゃでん
1958年  ファンタジー/アニメーション  1時間 19分
『白蛇伝』は、中国の四大民間説話のひとつ『白蛇伝』を題材にした、日本最初のカラー長編漫画映画である。カラー、スタンダード、79分。昭和三十三年度・芸術祭参加作品。文部省選定映画であった。アニメ映画ではあるが、森繁久彌が初めて東映の映画作品に出演したものである。 ウィキペディア
初公開: 1958年9月3日
監督: 藪下 泰司、 大川 博
音楽: 木下忠司
配給会社: 東映
映画脚本: 藪下 泰司、 山根 章弘、 矢代静一

 

 

白蛇伝(東映映画) あらすじは?

白蛇の精・白娘は、幼い頃可愛がってくれた許仙のことが忘れられず美しい娘となって彼の前に姿を現した。

 

 

二人を手引きするのは、魚の精の少青。たちまち二人は恋に陥ってしまう。しかし、このことはたちまち法海和尚の知るところとなり、妖怪に魅入られた若者の命を慮る和尚は、法力をもってこの恋を妨げようと決意するのであった。

 

 

だが、二人の恋は上々の首尾で花咲き乱れる美しい屋敷の庭をそぞろ歩くなど、夢うつつのひとときを過ごしていた。

 

 

許仙と仲良しのパンダとミミーの二匹も、少青と一緒に屋敷の中を遊びあるき、あげくの果てに柱の飾り龍を引きずり落としてしまった。

 

 

龍は勝手に動き出し、パンダとミミーそして少青をつかまらせたまま、夜空を飛び回って宝物殿に落ちた。

 

 

少青はそこで拾った宝石を許仙と白娘に与えたが、これが二人を引き離すもとになる。

 

(C)東映

 

 

東映で映画化された白蛇伝はアマゾンプライムで視聴可能のようです。

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白蛇伝

 

 

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この伝説の橋を巡って、今から、14年前、この断橋で、時代の波に翻弄され引き裂かれた家族にある奇跡が起こりました。

 

 

 

これは、2006年、アンビリバボーでも取り上げれた話です。

 

 

2006年放送 断橋で起こった感動実話ストーリーとは?

1995年 浙江省

今から24年前の1995年、浙江省で古紙回収の仕事をしていた徐礼達(じょれいたつ)さん、生活は苦しいながら、一生懸命働き、妻の銭粉香(せんふんこう)さんと長女、暁晨(ぎょうしん)ちゃんと、新しい家族を迎える準備をしていました。

 

 

 

そんな時、役所から電話がかかってきます。内容はなんと罰金を支払わなければならないというもの。

 

 

一人っ子政策

実は、当時、中国政府は「一人っ子政策」という人口削減策を実施しており、違反すると非常に厳しい罰金が科せられます。この政策は1979年から2015年まで行われていました。

 

 

 

二人目からは高額な税金、住居や教育面でもハンデを背負わされます。

 

 

 

徐夫婦も二人目を出産すれば罰金を取られるのは分かっていましたが、この罰金は地域や自治体によって大きな差があり、その額が通達なく変更されることがあるという曖昧なものでした。

 

 

 

そして、役所からの電話で言われた金額が月収の100倍という額だったのです。想定をはるかに上回る金額でした。

 

 

 

しかし、その時すでに妊娠7か月、中絶をすれば母体にも影響が出ます。二人はやむを得ず家を離れ、姉が住む中国江蘇省へ逃げました。

 

 

1995年 中国江蘇省 女児を出産

そして、一目を忍び、川に浮かぶ船の上で女の子を出産しました。

 

 

 

しかし、直後に出産が当局に発覚、もし、違反を犯した家族をかくまっている事がバレれば、一族全員に大きな罰金が科せられます。そして、見つかった以上もう面倒は見られないと姉夫婦に言われてしまいます。

 

 

 

どうすることもできない徐夫婦は、どうか命を永らえてくれと、出産後のわずか5日後に、静芝(せいし)ちゃんと名づけた赤ん坊を野菜市場の入り口に手紙を添えてそっと子供を置きました。

 

 

2005年8月11日 旧暦七夕

10年の月日が流れた2005年8月11日、旧暦の七夕であるこの日は年に一度会いたい人に会える七夕伝説として知られています。

 

 

 

同じく、会いたい人に会える場所として有名な「断橋」にも毎年、多くの観光客やカップルが訪れていました。

 

 

 

そして、地元テレビ局で夕方のニュース番組の人気キャスターだった氾恵敏(はんけいびん)さんもこの橋を訪れていました。目的は番組の目玉コーナー、氾恵敏がお助けしますの取材のためでしたが、突然、一人の女性が氾キャスターに声をかけてきました。

 

 

 

助けてほしいと頼む女性は知人から預かってきた手紙を手にしていました。そして、そこに書かれていた内容は驚くべきものでした。

 

 

 

その手紙の内容がこちら。

 

 

この子の名前は静芝(せいし)といいます。

1995年旧暦7月24日午前10時に江蘇省で生まれました。暮らし向きが貧しく、この子を手放す以外に方法がありません。

心優しいどなたか、哀れな父母に変わってこの子の面倒を見てくださるよう心よりお願い申し上げます。

そして、願わくば10年後あるいは20年後の七夕の日の午前、断橋の上で一目お会いすることが出来ますように

 

 

 

 

 

というものでした。そう、これは10年前、徐夫婦が女の子を野菜市場の前に置いたときに添えた手紙でした。

 

 

 

そして、この手紙は現在アメリカに住んでいる養父母から預かってきた手紙なのだそうです。その女性によると、静芝ちゃんは現在、アメリカ人の養父母に引き取られ、アメリカで育てられているとのこと。

 

 

アメリカの養父母

さかのぼること9年、1996年、アメリカにすむその養父母は既に二人の男の子を授かって子宝にも恵まれ幸せに暮らしていましたが、女の子が欲しいということで願わくば娘をと養子を探したそうです。

 

 

 

そんな時に養護施設で出逢ったのが色白で可愛らしいまだ生後一年だった静芝ちゃんでした。そして、施設の担当者から静芝ちゃんに添えられていた手紙も一緒に渡されました。

 

 

 

それから9年、2005年の夏、静芝ちゃんは10歳となりました。生みの親が残した手紙の日が近づいています。

 

 

 

静芝ちゃん自身にも養子であることを伝えていますが、実の両親に会わせるのは時期早々と考えた養父は、自分が行ってせめて無事であることを伝えてこようと思っていたそうです。

 

 

 

しかし、急な出張を頼まれ、仕事の都合でアメリカを離れることが出来なくなりました。妻だけを中国に向かわせるわけにもいかないということで、養父は中国に知人がいるという友人に手紙と写真を託したというのです。

 

 

 

それを手にしたのが養父母の代理人として氾キャスターに声をかけた呉学鋒(ごがくほう)さんと呉さんの弟でした。

 

 

 

知人が困っているから力になってほしいと頼まれた呉さんも多忙なキャリアウーマン。仕事上でトラブルが発生し、到着が遅れてしまったそうです。

 

 

 

やっぱりもう帰ってしまったと途方に暮れた呉さんは、氾キャスターに一緒に探してもらえますか頼みます。

 

 

 

手紙にあった時間は午前。到着したときは午後でした。しかし、氾キャスターが断橋に着いたのも午後、それらしき夫婦も見た記憶がなく、戻って撮影テープを見直してもそれらしき人は写っていません。

 

 

 

スタッフが途方に暮れていた時、そこに、取材に同行していなかった女性ディレクター戴氷寒い(たいひょうかん)さんが入ってきました。実は、彼女も七夕の取材で待ちゆくカップルに断橋から繁華街をインタビューして回っていたというのです。

 

 

 

すぐに取材テープをチェックしてみたのですが、それらしき人は映っていませんでした。既に深夜でスタッフの疲労もピークに達していましたが最後にもう一度だけと見直してみると、ある何の変哲もない若いカップルが歩く向こうに、男性と女性が映り込んでいました。

 

 

 

そして、その男性が手にしているウチワには「静芝」という名前が書かれていたのです。はっきりと読むことが出来ました。

 

 

 

この時、テレビクルーはプライバシーを配慮してカップルの顔から下を撮影していたというのです。こんな偶然があるのかというまさに奇跡の映像でした。

 

 

 

氾キャスターチームは、番組の人気コーナーを通して、呉さんとこの話を紹介した上で、徐さん夫婦に名乗り出るよう呼びかけました。すると、七夕から3日後、新聞各誌もこの話題を取り上げました。

 

 

 

数日後、記事を掲載した新聞社から一本の電話が氾キャスターの元に入りました。それは、徐夫婦が名乗り出てきたというものだったのです。

 

 

徐夫婦と女の子

ついに両親を名乗る夫婦にたどり着いた氾キャスター、早速会いに向かうと夫婦と女の子がいました。

 

 

 

徐礼達さんが書き留めていたノートと実際の手紙を照らし合わせて内容も筆跡も同じであることを確認、そして間違いなく、二人は静芝ちゃんの両親である徐礼達さんと銭粉香さん、そして長女の暁晨(ぎょうしん)ちゃんであることが判明しました。

 

 

 

もう生きていないかもしれないと思った徐さん夫婦は新聞を見た時、飛び上がるぐらい嬉しかったと語っていました。すぐに新聞社に電話したそうです。

 

 

 

徐さん夫婦は、七夕の日、朝早くから午後三時頃まで炎天下の断橋で待っていたそうです。しかし、会うことが出来ず失意の思いで橋を後にしたのだそうです。

 

 

 

そして、呉さんが到着したのは、徐夫婦が諦めて帰ったわずか15分後のことでした。ほんのニアミスで会う事が叶いませんでした。

 

 

徐夫婦 ついに対面

そして、七夕のすれ違いから7日後、徐さん夫婦は、養父母の代理人である呉さんに会えることになりました。

 

 

 

徐夫婦は呉さんから、アメリカの養父母から預かった手紙と静芝ちゃんの写真を手渡しました。

 

 

 

手紙の内容は、

 

 

私たちは1996年8月17日に静芝ちゃんを養子にもらいました。

 

 

二人の息子とも、とても仲良くやっています。彼女が大人になったらあなたたちの手紙を見せ真実を話すつもりです。

 

 

その時まで全てをお任せください。家族全員が静芝ちゃんを愛しています。

 

 

というもでした。

 

 

 

徐礼達さんは、静芝ちゃんがどこにいるかより、生きていることが分かって夢のようでしたと語っています。

 

 

 

育ててくれたご夫妻や多くの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいだそうです。徐さん夫婦がしたことは許される事ではありません。しかし、彼らの重荷がすこしでも軽くなったら頑張った甲斐があったと語るテレビスタッフ。

 

 

 

ここまでが、13年前に紹介された中国、断橋の奇跡でした。

 

 

 

そして、この感動ストーリーの続きが13年の時を経て完結するというのです。

 

 

 

2019年放送 断橋で起こった感動実話ストーリーとは?

チャンフー・チャンとの出会い

運命に翻弄された家族の実話、一体どうなったのでしょうか。徐夫婦が静芝ちゃんの無事を知らされた翌年の2006年、夫妻をある人物が訪ねてきました。

 

 

 

それは中国系アメリカ人のドキュメンタリー監督、チャンフー・チャンさんでした。チャンさんは国際養子縁組のドキュメンタリーを数多く手掛けるとともに、大学でも教鞭をとる映像作家でした。

 

 

 

友人から行き別れた娘に会うために断橋に行った夫妻の話に興味を持ったチャンさんは、徐夫婦が娘に会う手助けをしたいと申し出ました。

 

 

音信不通

しかし、徐夫婦は育ての親の名前も静芝ちゃんに関しての情報も全くありませんでした。代理人の呉さんも秘密として明かしていませんでした。

 

 

 

唯一分かっていることは、手紙には静芝ちゃんは膝に問題があると書かれてあったということ。そして、呉さんによると養父母は携帯も連絡が取れなくなり、突然、音信不通になったというのです。

 

 

アメリカの養父母を捜索

チャンさんはまず養護施設をあたりました。既に、マスコミがつきとめ、どの養護施設かはわかっていましたが、養父母に関する情報は教えられないということでした。

 

 

 

しかし、チャンさんはネット上でこの養護施設から養子を迎えたアメリカの養父母のコミュニティがあるという事を知りました。

 

 

 

チャンさんは、コミュニティを探し出し、「膝に問題があったが治療して今は問題がなくなった」という静芝ちゃんに関する書き込みらしき情報を見つけました。

 

 

ケン・ポーラー

その書き込みをしていた男性、ケン・ポーラーという人物を捜索することにしました。書き込みの内容から住んでいる地域を絞り出し、片っ端からケン・ポーラーという人物を知らないか聞きこみを行い、知人にたどり着くことが出来ました。

 

 

 

さっそく、知人に連絡を取り、ケン・ポーラーさんの電話番号を聞き出すことができたチャンさんは早速電話を掛けました。

 

 

 

ケン・ポーラーさん家族はアメリカ・ミシガン州にある湖に面する町に住んでいました。

 

 

翻弄された育ての親の運命

ケン・ポーラーさん一家は静芝ちゃんの養父母で間違いありませんでした。

 

 

 

しかし、静芝ちゃんの一件が中国で大きく取り上げられて以降、マスコミからの取材が殺到。娘が奪われるのではないかと恐れるようになりました。

 

 

 

そのため、携帯電話の番号を変え、徐夫妻やテレビ局からも二度と連絡が取れないようにしていたというのです。

 

 

 

ケン・ポーラー一家は静芝ちゃんをケイティと名づけ、わが子と同じように大切に育ててきました。ケイティはポーラー夫妻にとってなくてはならない存在でした。

 

 

警戒する育ての親

チャンさんは、その事実を徐夫妻に伝えました。

 

 

 

チャンさんは静芝ちゃんとの再会が実現するよう出来るだけ連絡を取り、説得しますと言いましたが、徐夫妻は育ての親の気持ちを理解し、無理強いはしないでくださいと伝えました。

 

 

 

時代の波とは言え、自分たちのせいで招いた結果です。

 

 

1年に1度の手紙

チャンさんは架け橋となって徐さんが静芝ちゃんへの想いを綴った手紙を、一年に一度、ポーラー夫妻に送りました。

 

 

 

チャンさんは徐さんが書いた手紙を英語に翻訳し、二人の気持ちに寄り添うよう努力しました。そして、時々電話をするぐらいで無理やり会わせようとはしませんでした。

 

 

 

すると、養父母はケイティの近況を知らせる手紙を徐夫婦に送ってくれるようになりました。何年も生みの親と育ての親のやり取りは続きました。

 

 

 

あれから、徐夫婦は毎年、断橋を訪れずにはいられませんでした。

 

 

20年後・・・

それは、手紙にも記してありました。10年後、もしくは20年後・・・もしかしたら娘に会えるかもしれないと、徐夫婦はかすかに期待し毎年、断橋を訪れていたのです。

 

 

 

そして、20年後の七夕の日。ついに、娘が現れることはありませんでした。

 

 

 

しかし、20年目の七夕の日から半年がたった頃、チャンさんの元に一通のメールが届きました。

 

 

ケイティからのメール

2016年3月、ケイティからチャンさんの元にEメールが届きました。静芝ちゃんからのメールです。

 

 

 

内容は、「こんにちはチャン教授。あなたは私からのメールをずっと待っていたのでしょうね。」というものでした。

 

 

 

そして、「正直、今わたしはどうすればいいのかわかりません。」と記されてありました。

 

 

 

というのも、ケイティは自分が養子だということは聞かされていましたが、育ての親に遠慮して生みの親に関する質問は避けていました。

 

 

 

しかし、成長してその疑問を抑えきれなくなり、何気なく生みの親について聞きました。

 

 

 

ポーラー夫妻はケイティも大人になり、真実を話すときがきたと思い、産みの親と連絡をとったことがあること、断橋での軌跡の出来事など、全てを話ました。

 

 

 

どうして、大切な事を黙っていたのかと動揺するケイティに、ポーラー夫妻はチャンさんの連絡先を教えました。

 

 

 

自分だけが隠されていたと、裏切られた様な気分だと感じたケイティは、チャンさんに相談しました。

 

 

 

チャンさんは今までの事、そして、ケイティは生みの親からも育ての親からも大切に思われているという事を話し聞かせました。

 

 

 

ケイティは育ててくれた両親への感謝や彼らの複雑な気持ちをくみ、生みの親に会ってみたいという気持ちはあるものの、中々行動に移せずにいました。

 

 

 

その後、一年以上にわたり、養父母と話し合いを重ね、ついにアメリカの家族に見送られ、中国に旅立ったのです。

 

 

22年後の感動の再会

ケイティはが向かったのは伝説の橋、断橋。このことは生みの親、徐夫妻にも伝えられました。

 

 

 

親子が別れて22年。伝説の橋で、ついに奇跡が起こります。

 

 

 

そして、徐夫妻とケイティこと静芝ちゃんは22年間待ち望んだ再会を果たしたのです。やっと会えた、ごめんねと泣く母親、ずっと見つけられなかったと抱きしめる母親。

 

 

 

あの時のあの場所の空気は特別だったと、とても濃密でさまざまな感情が爆発していたとチャンさんは語っています。

 

 

 

再会を祝って花火をあげる徐さん一家は数日間一緒の時を過ごし、母親は娘のため腕によりをかけて料理をふるまいました。

 

 

 

そして、生みの親と育ての親はインターネットを通じて交流をしました。言葉が通じないため簡単な自己紹介のみでしたが、養父のケン・ポーラーさんは娘にとって良かったと、そして養母のスー・ポーラーさんも実の親と接することで娘の気持ちが安らかになるならそれでいいと語りました。

 

 

 

実の親との再会から5日後、ケイティは育ての親が待つミシガンへ帰って行きました。養父母は今までと変わらない優しさと愛情で迎え入れました。

 

 

ケイティの現在は?

現在、大学を卒業したケイティは大学院に進学するまでの一年間、中国のインターナショナルスクールで英語を教えているのだそうです。

 

 

 

今度は、自分が母国である中国とアメリカの架け橋になりたいと思っているそうです。

 

 

もう一つのある特別な意味

ケイティが中国を訪れたのにはある特別な意味がありました。

 

 

 

生みの親と再会した翌日、生みの親、徐夫妻はある場所にケイティを連れて行きました。そこは徐夫妻にとって忘れられない場所。

 

 

 

22年前、生まれたばかりのケイティを置き去りにしたあの場所でした。その時の状況を一生懸命伝える徐さん、そして、ケイティを生み落とした河に浮かべられた小さな船があった場所にも連れて行き、その時の状況を伝えました。

 

 

 

畳二畳分にも満たない船の上でケイティは生まれたのです。ケイティの出生に関する全ての真実を話したのです。何故、徐さんは複雑な気持ちになるような場所にあえて連れて行き、何もかも包み隠さず話したのか・・・?

 

 

 

ケイティはそれが何故か理解しました。徐夫婦は許してほしかったのです。

 

 

 

しかし、ケイティにとっては許すなんて何でもない事でした。当時の政府の政策のこと、家族の状況はケイティも痛いほど理解していました。

 

 

 

ケイティはアメリカで習っていたビオラを徐夫婦にの前で弾き、プレゼントしました。自分に対する深い罪を和らげてあげたいという思いがあったからです。

 

 

 

中国の先祖の墓にも訪れました。彼女の生みの親に会うための旅は自分の出生と原点を知るための旅でもあったのです。

 

 

 

ケイティは自分の将来の歩むべき道を決めあぐねていました。

 

 

 

この旅でケイティは自分も連れていかれた児童養護施設を訪れていました。世界に翻弄され、行き場をなくした子供たちに対して無関心ではいられなくなったのです。

 

 

 

自分のルーツを知ることはとても充実したことだったと語ったケイティは、この特別な旅で自分の進むべき道を見つけたのではないでしょうか。

 

 

ドキュメンタリーは?

今回の感動ストーリーはドキュメンタリー監督、チャンフー・チャンによってフィルム化されています。

 

チャンフー・チャン

Changfu Chang⇒https://www.facebook.com/changfuchang

 

登場人物

<中国>

実父 Xu 徐礼達(じょれいたつ)

実母 Qian 銭粉香(せんふんこう)

長女 Xiaochen 暁晨(ぎょうしん)

 

<アメリカ>

養父 Ken Pohler

養母 Ruth Pohler

義兄 Steven Pohler

義兄 Jeff Pohler

次女  Kati Pohler

 

 

☆映像はこちら

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【参考記事】

●https://www.scmp.com/magazines/post-magazine/long-reads/article/2122313/chinese-girl-adopted-american-family-miraculously

 

●https://www.bbc.com/news/av/stories-42269038/meet-me-on-the-bridge-discovering-the-truth-about-my-parents-after-20-years

 

 

 

また、今回、紹介された、杭州西湖にある「断橋」がこちら。杭州西湖はユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 

 

中国 杭州西湖 断橋 場所や地図は?

 

 

断橋 画像

 

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☆七夕について知りたい方はこちら

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