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石井章夫(いしいあきお)さんの現在は?古田敦也が衝撃を受けた天才はなぜ、プロ野球入りを断ったのか?
2019年7月28日放送の消えた天才では、古田敦也さんが大きな影響を受け、古田敦也さんの原点だと語る石井章夫さんです。
石井さんは強肩を生かした素早い送球で天才ぶりを発揮し、その将来を大きく期待されていました。
まずは、古田敦也さんのプロフィールをご覧ください。
古田敦也 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:古田 敦也
ふるた あつや
プロ野球選手
生年月日: 1965年8月6日 (年齢 59歳)
生まれ: 日本 兵庫県 川西市
身長: 5.971 ft
配偶者: 中井美穂 (1995年から)
学歴: 兵庫県立川西明峰高等学校、 宝塚市立南ひばりガ丘中学校、 立命館大学 – 衣笠キャンパス
石井章夫 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:石井章夫
いしい あきお
生年月日: 1964年9月30日 (年齢 60歳)
生まれ: 日本 神奈川県 綾瀬市
石井章夫 経歴
石井さんは桐蔭学園のエースとして活躍し、卒業後は慶応大学に進みキャッチャーに転向しました。
強肩を武器に捕手として存在感を示し、打撃でもチームの大黒柱として13年ぶりのリーグ優勝に貢献するなど大きな活躍を見せていました。
大学4年の秋、大洋ホエールズがドラフト2名で指名、誰もがプロでスーパースターとなると期待していました。
しかし、石井選手はなんと大洋ホエールズの指名を断り、バッシングを受けたそうです。石井さんはそのまま野球を続け、社会人野球でプレーをし現役を続けましたが、プロになることなく引退しました。
どうして、プロに行かなかったのか・・・そして、現在はどうされているのでしょうか。
石井章夫 消えた理由
元々ピッチャーで、肩には自信があったという強肩はプロからも認められドラフト指名されました。
しかし、これを拒否した石井さんには人生最大の葛藤があったそうです。
プロ野球選手になることが夢だった石井さんは、なぜ、プロにいかなかったのでしょうか。
それは、石井さんが中学生の頃、父親を亡くし、母、弟と三人で暮らしていましたが、母親は苦労をさせないよういつも気遣ってくれたそうです。
そんな生活の中で、一番気にかけていたのは7歳年下でまだ当時小学生だった弟の石井貴さんでした。
母親の帰りが遅い日は弟の食事の準備をし、宿題を見てあげたり、兄弟で野球をすることでした。
幼い弟が寂しい思いをさせないように気遣っていたそうです。当時からあなたが父親代わりと言われ、自分が家族を守らなければと自覚が芽生えるようになりました。
大学4年生の時、ドラフト指名を受け、プロのスカウトマンが自宅を訪れました。スーパースターになるチャンスだと説得されました。
一方、社会人チームからも勧誘がきたそうです。プロでうまく行かなくても生活に困ることはないと説得され、生涯賃金の金額比較もしたそうです。
保証はないけれど、夢のプロ野球か?
それとも、
安定の社会人野球か?
ドラフト指名から1か月が過ぎたころ、まだ石井さんの心は揺れていました。そして悩んだ挙句、自分の欲を抑えて長く安定して働くことが正しいとプロ入りせず、社会人野球で続けることを決断しました。
家族を支えることが出来なくなるためプロ野球を諦めざるを得ませんでした。しかし、この欲をおさえて我慢した決断に、モヤモヤはずっとあると石井章夫さんは語ります。
かつて共に戦ったライバルたちはプロで活躍する姿を見て、決断は間違っていなかったと思ってはいても複雑な気持ちはあったそうです。
そんな気持ちを救ってくれたのが、1994年6月7日の日本ハムファイターズvs西部ライオンズの試合でした。
マウンドに立っていたのは、石井章夫の7歳年下の弟、石井貴選手でした。
石井貴 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:石井貴
いしい たかし
野球選手
生年月日: 1971年8月25日 (年齢 53歳)
生まれ: 日本 神奈川県 綾瀬市
この試合で、石井貴さんは、かつてドラフト指名した石井章夫さんの弟と紹介されマウンドに立っていたのです。
この瞬間、石井章夫さんは、今まで抱えてきたモヤモヤした気持ちを弟の石井貴さんがクリアにしてくれたと語ります。
家族のために、プロ野球を諦めた石井さんが果たせなかった夢を弟が兄に代わりプロ入りを果たしました。
石井貴さんはプロの世界で大ブレイクし、2004年の日本シリーズでMVPを受賞したり、プロで14年間活躍され、現在、楽天の2軍のコーチをされています。
章夫さんは自分と重ねながら、石井貴さんの活躍を応援していたそうです。石井貴さんはは兄の影響があって、今の自分があると感謝しています。
石井章夫 現在は?
現在、石井さんは神奈川県伊豆市にいらっしゃいます。
古田敦也さんが絶対に勝てなかった天才は白髪の似合うダンディーなお姿で今もお元気そうです。
東京ガスに勤続33年、また、アマチュア野球の日本代表監督に就任し、指導者として再びグランドに立っています。
今は、当時の決断をいい選択が出来たと心から思っているそうです。そして、現役の選手に対して、努力をしないとチャンスは来ないから頑張ってほしいとエールを送っていらっしゃいました。
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