甲斐の虎とは?長野県のお寺「長岳寺」に眠る武田信玄の秘宝「鍬形台三輪菊唐草透彫三鈷柄付」と「大日の丸練革製朱塗」が凄い!世界何コレ



長岳寺(ちょうがくじ)の拝観料や営業時間は?長野県のお寺に眠る武田信玄の秘宝とは一体何?

1/16 (水) 関西テレビ 19:00 ~ 20:54  世界の何だコレ!?ミステリーSP【視聴者からのナゾ投稿!超拡大版】

番組概要
日本全国から届いたナゾ投稿(1)隊長が快挙!噂の穴の先は…本物の古墳だった(2)田んぼに奇妙な白い玉&山奥の秘境にフシギ建物▽信玄の秘宝…兜とお守り▽京大教授の隕石研究

社会科教員免許を持つあばれる先生が調査するのは、長野県のお寺に眠る「武田信玄の秘宝」!そこには「甲斐の虎」と称され、戦国時代最強の武将とも名高い信玄の意外な一面が隠されていた!?

2019年1月16日放送の世界の何だコレ!?ミステリーSPでは、武田信玄の秘宝について紹介されます。

今回は、「甲斐の虎」とは何か、また、「武田信玄の秘宝」が眠っている長野県のお寺、「長岳寺」について調べてみました。

甲斐の虎とは?

甲斐の虎は「かいのとら」と読みます。甲斐は昔の地名で、現在では山梨県全域にあたる地域をさし、武田信玄の生まれた地でもあります。

甲斐の虎とは、戦国最強の騎馬隊を有した戦国大名である武田信玄の異名の一つです。

武田信玄 wikiプロフィールや画像

武田信玄
たけだ しんげん
大名
武田 信玄 / 武田 晴信は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎。「信玄」とは法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。 ウィキペディア
生年月日: 1521年12月1日
生まれ: 甲斐国
死亡: 1573年5月13日, 日本 三河国
本名: Takeda Harunobu
子供: 武田 勝頼、 武田義信、 仁科盛信、 信松尼、 海野信親、 菊姫、 武田信清、 見性院、 武田信之、 黄梅院、 真竜院、 葛山信貞
配偶者: 三条の方 (1536年から)、 上杉の方 (1533年 – 1534年)

長野県の長岳寺

長岳寺は天台宗の古いお寺で、1200年の歴史がある武田信玄と縁のあるお寺として知られています。

創建は弘仁6年(815年)、伝教大師最澄が古代の官道である東山道の難所、神坂峠に布施屋を建てたのが始まりとされ、日本社会事業発祥の地とされているそうです。

最澄(767年9月15日 – 822年6月26日〈新暦〉

場所は長野県の南部、下伊那郡阿智村にあります。

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長岳寺 地図や住所

長岳寺
日本 阿智村の仏教寺院
所在地: 日本、〒395-0303 長野県下伊那郡阿智村駒場569
TEL 0265-43-2967 FAX 0265-43-2967

長岳寺 拝観料

拝観料

長岳寺の拝観料は現在、大人200円、小学生以下子供は無料です。また、団体料金があり、20名様以上は150円です。

駐車場

あり。普通車 30台と、大型 5台(第2駐車場)

営業時間

9:00~17:00 定休日 不定休

※最新の情報はこちらからお確かめください。

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☆http://hirugamionsen.jp/blog/spot/長岳寺

長岳寺は武田信玄の遺体を火葬した場所

武田信玄は三河侵攻で野田城攻めしていたときに病にたおれ、急遽、甲斐へ撤退する帰路で亡くなりました。

長岳寺は武田信玄が亡くなった場所、駒場(現在の阿智村)の近くにあり、火葬し、遺骸を安置したのが長岳寺といわれています。

また、当時の長岳寺住職は武田信玄の義兄弟である裕教法印だったそうで、密かに遺骸を境内まで運び、裏山で荼毘にふしたと伝えられています。

長岳寺の寺宝

信玄公の兜の前立て二種類が寺宝として所蔵され、十三重の供養塔が現存されています。

武田信玄の遺品「兜の前立て」

長岳寺の寺宝として、武田信玄が使用したと伝えられる「鍬形台三輪菊唐草透彫三鈷柄付」と「大日の丸練革製朱塗」と呼ばれる兜の前立てを保管しています。

鍬形台三輪菊唐草透彫三鈷柄付

大日の丸練革製朱塗

一体どんなものなのか番組を楽しみに待ちましょう。

兜の前立てとは?

兜の前立てとは前飾りの部分です。

戦国時代の武将たちにとって最も重要な頭部を守る甲冑が「兜」です。兜には、各部位ごとに「前立て」「兜鉢」「吹返」「錣」「目庇」「面頬」といったように細かく名称が分けられ、多くの部品から成り立っています。各武将の鍬形や前立てには強い信仰と意志が込められています。 また、こどもの日は鎌倉から江戸時代の武家社会の影響を受けた部分が多く、当時の武士たちの慣習を真似たものが、兜や甲冑を飾る文化を作り上げました。

引用:https://rekishiplus.com/?mode=f3

どうして、前飾りの部分のみで兜全体が揃っていないのでしょうか?

実は、江戸時代ぐらいに子供たちがイタズラで本物を使ってチャンバラをし壊されてしまったと言い伝えられています。

武田信玄が生涯持っていたお守りとは?

番組では、社会科の教師の資格を持つあばれる君が取材をし、長岳寺の住職、入亮純さんが紹介してくれました。

当時の住職が武田信玄の義弟だったため、最後をお世話するとともに、今回のお守りを預かったと語り継がれているそうです。

一体どんなお守りかと言うと、小さな仏像でした。銅製でとても小さくずっしりと重みがある観音像です。現在は錆で少し青みがかっています。

そして、その観音様は懐に入れるのではなく、頭にかぶる兜の中におさめる仏様で、この様な仏様は兜仏(かぶとぼとけ)と呼ばれているそうです。

戦では目の前の人の命を奪うことになるため、敵であろうが味方であろうが観音様に救ってもらって極楽へ連れて行ってくださいという思いが込められているのだそうです。

甲斐の虎として恐れられていた武田信玄は、その様な思いやりを持ち合わせていたのですね。

灰塚供養十三重の塔

火葬され場所に火葬塚が設けられていたそうですが、昭和13年、武田信玄没後400年の際に火葬した灰を長岳寺境内に移し、十三重塔を建立したそうです。

甲斐の虎 まとめ

いかがでしたでしょうか。

番組では戦国時代最強の武将とも名高い信玄の意外な一面が紹介されるそうなので、楽しみに待ちましょう!

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