小林寛美・原田早穂・青木愛・川島奈緒子ほか日本シンクロ北京五輪メンバーの現在は?2019/3/17放送消えた天才

橘雅子・小村恵里佳・鈴木絵美子・松村亜矢子・石黒由美子wikiやインスタ調査!2008北京オリンピック シンクロ日本代表選手の現在は?

 

2019月3月17日 (日) MBS毎日放送 18:30 ~ 20:54 消えた天才 ★スポーツ史に残る悲劇で消えた天才…衝撃映像蔵出しSP★

 

番組概要
▼マラソン・高橋尚子が憧れた天才は陸上界が激震した大事件で消えた…衝撃映像を20年ぶりに解禁▼日本シンクロ史上初めてメダルを逃した北京五輪メンバーは今…ラスベガスで超VIPが訪れる驚きの職業に転身!「11年言えなかった」キャプテンの告白に涙…▼柔道金メダル山下泰裕を超える天才!10年間世界最強だったのに五輪出場ゼロ…なぜ?▼スポーツ庁長官・鈴木大地が全く勝てなかった天才!異国で体験した壮絶な試練

 

 

今回の「消えた天才」では2008年に行われた北京オリンピック種目、シンクロ(現在はアーティスティックスイミングという名前に変更)の競技で出場した日本代表選手の今が紹介されます。

 

シンクロと言えば、日本のお家芸です。1984年ロス五輪で正式種目に採用されて以降、日本はメダル獲得率100%を誇り、チームで1996年アトランタで銅、2000年シドニーで銀、2004年アテネで銀と3大会連続メダル獲得していました。

 

 

AS(アーティスティックスイミング)とは?

2017年までは旧名称「シンクロナイズドスイミング」、現在は、「AS(アーティスティックスイミング)」。ASとは、曲に合わせて様々な動きを行い、技の完成度・同調性・技術的表現力などを競い合う競技です。2分20秒前後の曲に決まった八つの動きを入れるテクニカルルーティンと、3分半前後の曲の中で自由に演技するフリールーティンという種目があります。

引用:https://www.swim.or.jp/compe_sync/

 

 

アーティスティックスイミングには、フィギュアルーティンがありますが、フィギュアは技術重視、ルーティンは音楽に合わせて1人から10人までの人数で演技します。通常、シンクロと呼ばれるものは、ルーティンです。

 

 

日本のお家芸とも言われるシンクロで、北京オリンピックに出場しながらも日本シンクロ史上初メダルを逃したチームにはどんな選手がいたのでしょうか?

 

 

当時の代表メンバーは、世界水泳選手権でもチームテクニカルで銀メダルを獲得したメンバーでした。

 

 

マーメイドジャパンと呼ばれメダルを期待されていたメンバーは原田早穂・川嶋奈緒子・橘雅子・青木愛・小村恵里佳・鈴木絵美子・松村亜矢子・石黒由美子・小林寛美がいます。

 

 

しかし、日本はプレッシャーからか演技が揃わず、まさかの5位に終わってしまいました。大会終了後、メンバーを待ち受けていたのは痛烈な見出しの数々でした。

 

 

通例、ベテランは引退しても、その後も選手生命を続けるのが普通でしが、マーメイドJAPANは若手までもがほぼ引退するという衝撃的な事態と陥ったのです。

 

 

そんな、24年続く日本伝統のメダルを逃し、ほぼ全員が五輪直後に引退を表明した悲劇のヒロインたちは今どうしているのでしょうか?それぞれの現在はにせまってみたいと思います。

 

 

シンクロ 北京オリンピック2018 日本代表選手

小林寛美 こばやしひろみ

名前:小林寛美
読み:こばやし ひろみ
生年月日:1984年9月26日
身長/体重:161cm/53kg
出生地:大阪府
最終学歴:大阪市立大学
所属:阪和興業(株)、浜寺水練学校
出場種目:チーム

 

 

小林寛美さんは当時23歳でした。オリンピック本番で壮絶体験をした小林寛美さんは、気を失ってしまいました。

 

 

4分間激しく演技し、酸欠状態になった瞬間、失神していまったいたそうです。五輪という舞台で変な力が入ってしまったためだろうと語る小林寛美さんですが、当時の事は辛い思い出として残り、涙が浮かびます。

 

 

プールでの失神は五輪シンクロ史上初で前代未聞の事態でした。

 

 

演技終了後だったので減点対象ではありませんでしたが、シンクロは演技終了後に舞台まで皆で行って、ポーズをして終わりという一連の流れがある中、自分は何てことをしてしまったんだろうと、自分を責めたそうです。

 

 

一番大事な部分で演技を台無しにしてしまったと、チームに残る勇気を持てずシンクロが怖くなり引退を決意しました。

 

 

小林さんは引退してから一年後、渡米。衝撃な転身を果たしました。

 

 

小林寛美の現在は?

小林寛美さんは現在はラスベガスに住んでいます。自宅は中心部から15分の住宅街です。

 

 

なんと、世界的人気集団シルクドソレイユのサーカス団に入団「O(オー)」のメンバーとして、ショーの中で、シンクロナイズドスイミングを披露する水中パフォーマーとして活躍するという驚きの転身を遂げていました。

 

 

シルク・ドゥ・ソレイユOはラスベガスのベラージオホテルで20年以上上演しているショーの中でも断トツ人気。唯一、巨大な水槽を使った演技が行われるダイナミックなショーです。

 

 

ここで週5日、一日2回というレギュラー出演している小林さんについて仲間のメンバーは、レベルの高いパフォーマーと彼女との出演を誇らしく思っているそうです。

 

 

シンクロ引退後、競技からは離れていましたが、辞めてみて自分がどれだけシンクロが好きだったのか気づいたそうです。

 

 

やはりシンクロがしたいという思いが消えず、シンクロを生かせる職業を見つけたのだそうです。

 

 

実は2018年1月21日に放送の「グッと!地球便」にテレビ出演もしており、プライベートでは同じくパフォーマーである6つ年上で40歳のビージェイさんと国際結婚をしているという内容が放送されています。ビージェイさんもプロのパフォーマーです。

 

 

二人には息子のマイロ君3歳がいらっしゃいます。

 

 

 

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『グッと!地球便』 2018年1月21日(日)午前10:25~10:55 <みどころ> 3週に渡っておくる『グッと!地球便inラスベガスSP アメリカンドリームをつかんだ女性たち』。夢を抱いてアメリカに渡り、苦労や努力の末にアメリカンドリームをつかんだ女性たちを、山口智充が訪ねる。最終週の今回は、ラスベガスでシルク・ドゥ・ソレイユのショー「O(オー)」にシンクロナイズドスイミングのパフォーマーとして出演する小林寛美さん(33)と、日本の両親をつなぐ。 23歳の時、シンクロの選手として北京オリンピックに出場。メダルを期待されたが、演技の最後に寛美さんが失神してしまい、チームはメダルに届かなかった。後悔を残して終わったオリンピック。以来、母と娘は心の内を話せないままだったが…。挫折から9年。寛美さんがこれまで語ることができなかった思いを初めて明かす。 #地球便 #海外 #夢 #挑戦 #ラスベガス #家族 #旅 #ルート66 #夕景 #シルク・ドゥ・ソレイユ #O #国際結婚 #マイケル・ジャクソン #usa #lasvegas #grandcanyon #trip #travel #dream #lady #landscape #sunset 90近い国と地域へ飛んだ 「グッと!地球便」 global messenger #ytv#山口智充 ~海の向こうの大切な人へ 大切なモノを届けます~ can also check the program #青森RAB_宮城MMT_長野TSB_静岡SDT_愛媛RNB_鹿児島KYT_富山KNB_高知RKC_沖縄RBC_群馬GTV #BS_Dlife全国 #Hawaii #Airline #WAKUWAKUJAPAN_Asia_Pacific

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ビージェイさんとは「ルレーブ」というショーで知り合ったそうですよ。

 

 

ということで、小林寛美さんがラスベガスで超VIPが訪れる驚きの職業に転身した人です。

 

 

ちなみに、青木愛さんと小林さんは小学校から知っている存在だったそうです。昔から少し天然だそうですよ。

 

 

青木愛 あおきあい

 

名前:青木愛
あおきあい
オリンピック選手
生年月日: 1985年5月11日 (年齢 33歳)
生まれ: 日本 京都府 京都市 左京区
身長: 5.676 ft
スリーサイズ:85 – 60 – 83 cm
体重: 130 lbs
靴のサイズ: 24.5 cm
現年齢: 33歳

 

青木 愛は、美人でとても人気がありましたが、引退後はタレントに転向しているので、一時期お茶の間でもよく見かけ、一番認知度が高いかもしれませんね。

 

本も出版しています。

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

「アスリート・メソッド」シリーズ Vol.2 いつだって、夢とシンクロする生き方 〜元シンクロ日本代表選手・青木愛のこれまでとこれから〜【電子書籍】[ otoCoto編集部 ]

 

 

引退後は、タレント・モデル業に加え、指導なども行っていました。私生活では結婚し、子供がいますが、元プロサッカー選手の遠藤保仁さんとの不倫が噂されたり人生色々あるようです。

 

青木愛の現在は?

ママ社長として子供二人の育児をしながらタレントやオシャレなマタニティ&ナーシングウエアを世界中から買付けし販売する事業をしています。

 

 

【青木愛のブログ】

⇒https://ameblo.jp/blogvirina/

 

 

原田早穂 はらださほ

名前:原田早穂
読み:はらだ さほ
生年月日:1982年11月5日
身長/体重:166cm/56kg
出生地:東京都
最終学歴:日本大学
所属:東京シンクロクラブ・ミキハウス
出場種目:チーム/デュエット

 

 

当時25歳だった原田さんは、チーム最年少だった青木愛さんにとって小西真奈美似の優しいおねえさん的存在だったそうです。

 

原田早穂の現在は?

原田早穂さんも2008年北京五輪後に現役を引退しました。現在、36歳の原田さんは何をしているのでしょうか?

 

 

その後、青木愛さんのようにテレビに出演したり芸能活動をしていましたが、2011年5月から一年間、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員に採用され、マルタ共和国でアーティスティックスイミング指導者研修を受けました。

 

 

マルタ共和国は東京から13時間トルコイスタンブールを経由して、さらに3時間、イタリアの南に位置します。地中海に浮かぶリゾート地として知られる小さな国です。

 

 

そこで原田さんは小・中学生が30名在籍するシンクロのコーチをしていました。子供たちから大人気のコーチです。

 

 

流暢な英語で指導し、ここでも優しいお姉さん的存在ですが、ここに行きつくまで数々のドラマがありました。

 

 

北京五輪直後、無の状態になってしまったそうです。シンクロ界を離れ、一般企業で事務職をしていました。

 

 

一年後、知人から海外でシンクロコーチのオファーをもらい、マルタを見ると青い海と英語が学べると軽い気持ちで行くことに決めました。

 

 

しかし、着いた時、シンクロをしている人は全くいなかったそうです。指導者として呼ばれたはずなのに競技人口ゼロでした。

 

 

帰る事も考えましたが、日本を出る時、「マルタでシンクロを教えてくるね」と意気揚々と出かけた手前、すぐに諦めるわけにはいかず、とりあえず頑張ると決めました。

 

 

原田さんに与えられたのはプールだけでした。とりあえず、水面から足を出して釣りの浮きの様に3か月間、気を引く作戦にでました。

 

 

子供の興味を引き、入会者が続出。全て一人で行っていたため、アシスタンスもおらず月謝の管理やスケジュールの管理など全て自分で行ったそうです。

 

 

次第に、マルタの子供たちに教えるうちに心境の変化があったそうです。子供は素直に楽しいを表現してくれ、原田さんは再びシンクロを純粋に楽しむという心を思い出させてくれたのだそうです。

 

 

マルタに来て、2年。ある奇跡がおきました。なんと、原田さんのチームがマルタ代表として国際大会に出場したのです。

 

 

そして、わずか二年で堂々たる演技を披露し、メダルを獲得するという快挙を果たしたのです。生徒たちは先生と出会えてよかったと口をそろえて感謝しています。

 

 

これは新聞でも報道され国民的ニュースとなり、原田さんの偉業が伝説となりました。原田早穂が主役のドキュメンタリー映画を撮ることも決まっているそうですよ!

 

 

そして、プライベートでは、2015年11月13日、ブログでスイス人男性との結婚を報告しています。語学留学でマルタを訪れていたスイス人と結婚し、子供が一人いるそうです。

 

 

小林寛美に続き、二人目の国際結婚ですね。現在は、スイスで子育てをしながら度々マルタを訪れ指導しています。マルタの人たちがシンクロを楽しんでずっとしてくれるというのが夢だそうです。

 

 

【原田早穂のブログ】

⇒https://ameblo.jp/harada-saho/

 

 

川嶋奈緒子 かわしまなおこ

名前:川嶋奈緒子
読み:かわしま なおこ
生年月日:1981年4月7日
身長/体重:163cm/55kg
出生地:東京都
最終学歴:国士舘大学大学院
所属:(株)アール・ビー・ティーグループ、アクラブ調布
出場種目:チーム

 

 

川島奈緒子の現在は?

川島奈緒子さんは北京オリンピック後、引退され番組制作会社に就職し、マスコミ関係で働いています。

 

現在は、スポーツ番組のディレクターとして活躍されています。

 

 

橘雅子 たちばな まさこ

名前:橘雅子
読み:たちばな まさこ
生年月日:1983年11月23日
身長/体重:159cm/51kg
出生地:大阪府
最終学歴:桃山学院大学
所属:桃山学院大学、浜寺水練学校
出場種目:チーム

 

橘雅子の現在は?

当時24歳だった橘雅子さんも年北京オリンピック出場後に引退をしました。

 

 

その後、母校である桃山学院大学に職員として就職し、大学勤務のかたわらコーチとして子どもたちに泳ぐ楽しさを教えていましたが、それは、2009年時点での話です。

 

 

現在は地元の大阪でシンクロ教室の先生をしています。娘二人もシンクロをしているそうです。

 

 

小村恵里佳

読み:こむら えりか
生年月日:1982年8月5日
身長/体重:164cm/53kg
出生地:大阪府
最終学歴:大阪体育大学
所属:小西医療器株式会社
出場種目:チーム

 

小村恵里佳の現在は?

北京五輪後の小村恵里佳さんの情報は見当たりませんが、現在はスイミングの指導をしています。

 

 

鈴木絵美子

名前:鈴木絵美子
読み:すずき えみこ
生年月日:1981年11月12日
身長/体重:168cm/57kg
出生地:埼玉県
最終学歴:日本大学
所属:東京シンクロクラブ・ミキハウス
出場種目:チーム/デュエット

 

 

当時、26歳だった鈴木絵美子さんはキャプテンでした。人一倍責任感を感じていました。

 

 

自分がリーダーとして皆を引っ張っていく立場だったのに、悔しい思いでいっぱいでした。鈴木さんはメダルを逃した以上に、もっと悔しい思いをしているそうです。

 

 

それは、チームの出場の三日前、チームの精鋭で出場するデュエットで原田さんと共に出場し、メダルを獲得しました。

 

 

このメダルを獲得でチームが活気づきましたが、3日後、メダルを逃しました。悲痛のどん底にいるチームを前に、デュエットでメダルを獲得した鈴木さんと原田さんはメディア対応だったり会見だったりいつも一緒にいたのに全く行動が別になったしまったそうです。

 

 

取れなかったメンバーはどんな思いなんだろうと思うと心から喜べませんでした。そして、もっともその差が顕著になったのが、帰りの飛行機でした。

 

 

メダルを取った人はビジネスクラス、取れなかった人はエコノミーという残酷な違いがあったのです。

 

 

キャプテンとしてチームのメダルを逃したのに、自分だけとメンバーの気持ちを考えると申し訳ない気持ちが一番なのだそうです。

 

 

このように、鈴木絵美子さんの記憶では、試合直後にチームがバラバラになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

 

罪悪感を胸に抱き、引退会見では「もう水着を着る事はありません。」ときっぱりと宣言した鈴木さんですが、チームはそんな思いをしりませんでした。

 

 

二人がメダルを取ってくれたからこそ、次に行こうというパワーを貰えたと感謝されています。それは、当時のメンバー全員の喜びであった語っています。

 

 

鈴木絵美子の現在は?

鈴木絵美子さんも2008年の北京オリンピックで引退をしました。

 

 

引退後は、2011年11月に同じ母校、日本大学出身の水泳部出身の男性の方と結婚し、2015年12月には第一子となる男の子を授かっています。

 

 

現在、37歳になる鈴木絵美子さんは夫と子供二人と京都にいらっしゃいます。

 

 

鈴木絵美子にとって、チームのみんながそれぞれの道で活躍していることが、大きな心の励みとなったそうです。

 

 

そして、引退後、体験教室や解説者など再びシンクロの世界に戻ったそうです。競技者としては悔いが残るそうですが、シンクロは本当に大好きで恩返ししたい気持ちでいっぱいなんだそうです。

 

 

ちなみに、鈴木絵美子さんの父親である雅夫さんと、兄の康正さんはともにプロゴルファーです。

 

松村亜矢子

名前:村松亜矢子
読み:まつむら あやこ
生年月日:1982年1月8日
身長/体重:164cm/56kg
出生地:愛知県
最終学歴:中京大学
所属:中京大学附属中京高校、ザクラブピア88
出場種目:チーム

 

松村亜矢子の現在は?

松村亜矢子さんは引退後、株式会社RIGHTSに就職をしました。石黒由美子さんも同じ会社に就職したようですが、スポーツ・レガシー事業に関わり、各種イベントや講演に積極的に取り組んでいます。

 

 

2015年3月には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(修士課程)を終了し、現在では中部大学教員・春日井市の広報大使の活動もしています。

 

 

現在は、大学講師として水中運動の研究をしています。

 

 

石黒由美子

名前:石黒由美子
読み方:いしぐろ ゆみこ
生年月日:1983年10月31日
身長/体重:165cm/57kg
出生地:愛知県
最終学歴:愛知教育大学大学院1年
所属:愛知教育大学大学院
出場種目:チーム

 

石黒由美子の現在は?

石黒由美子さんは2007年愛知教育大学教育学部初等教育教員養成課程を卒業したのち、2008年に北京オリンピック出場を果たしました。

 

 

引退後、2009年愛知教育大学大学院教育学修士課程修了し、2009年4月から神戸大学大学院博士課程後期課程人間発達環境学研究科人間行動専攻在学しながら並行して、兵庫県西宮市立香櫨園小学校、大阪府高槻市医師会看護専門学校などで教鞭をとっていました。

 

 

石黒由美子さんは2010年、「奇跡の夢ノート」という書籍も出版しており、障がいのある方への再就職の手助けや発達障がい、いじめによって不登校になった子どもたちのためにワークショップや学習塾を開催し、社会に適応できるまでの支援をしています。

 

 

ということで、2008年北京オリンピックシンクロナイズドスイミングの日本代表選手は9名、それぞれの道に進み、シンクロナイズドスイミングで得た知識や技術を直接的でなくとも活かし、前を向いて人生を歩んでいらっしゃいます。

 

 

現在は、五輪経験を伝える講演をし、今年、大学講師になりました。

 

 

 

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