平岡瑤子(ひらおかようこ)は三島由紀夫の妻!芳村真理から新事実キャンティ?wikiプロフィールや写真あり!爆報!THEフライデー

三島由紀夫の妻 平岡瑤子(三島瑤子)の壮絶人生が凄い!芳村真理と三島由紀夫の関係は?キャンティ(CHIANTI)で逢引きプロフィールや経歴は?

TBS系2017年11月24日(金)19時00分~20時00分爆報!THE フライデー【三島由紀夫の妻…壮絶人生】で三島由紀夫の妻 平岡瑤子(ひらおかようこ)さんが紹介されますね。三島由紀夫氏は有名ですが、その妻 平岡瑤子(ひらおかようこ)さんどんな人だったのでしょうか?同性愛者だったと言われる三島由紀夫に近づく女性はもちろん男性や猫にまで嫉妬したという平岡瑤子(ひらおかようこ)さんについて調べてみました!

番組内容:三島由紀夫の妻…誰も知らないその後の人生…芳村真理から新事実が!さらに三島に切られ重傷を負った元自衛官が緊急出演!今年発見された肉声テープの未公開部分を初放送!
三島由紀夫の妻…その後の人生
▽1970年11月25日「三島由紀夫 割腹自決事件」  憲法改正を訴えてクーデター未遂事件を起こし最後は自決した事件 ▽三島を取り巻く美女の1人だった芳村真理から新事実が! ▽さらに市ヶ谷駐屯地の立てこもりで三島由紀夫に切られ瀕死の重傷を追った元自衛官が緊急出演! ▽今年TBSのテープ倉庫から47年ぶりに発見された  三島由紀夫の肉声テープ未公開部分を初放送!

 

平岡瑤子(ひらおかようこ)のwikiプロフィールや写真

名前:平岡 瑤子 ひらおか ようこ
旧姓 :杉山 瑤子 すぎやま ようこ
生年月日:1937年2月13日
出身:日本・東京都文京区目白台
死没 1995年7月31日(58歳没)
日本・東京都新宿区河田町(東京女子医科大学病院)
死因 肺真菌症による急性心不全
墓地 :日本・多磨霊園
国籍 :日本
別名 :三島瑤子
出身校:
日本女子大学附属豊明小学校
日本女子大学附属中学校・高等学校
日本女子大学英文科
配偶者 :三島由紀夫
子供 紀子(長女)
威一郎(長男)
親 杉山寧(父)、元子(母)
親戚 小松静子(叔母)

 

●1937年(昭和12年)2月13日、日本画家の父・杉山寧と母・元子の間に長女として誕生

 

●妹1人と弟2人おり、4人姉弟の1番上

 

●幼い頃から能に親しんだ

 

●日本の女優・詩人の村松英子は日本女子大学附属豊明小学校が同じで顔見知りだった

 

●専業主婦として三島の文筆活動を支え、未亡人となってからは、夫の書誌の編集や遺作の整理・保存、著作権保護に尽力

 

●三島由紀夫は「私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子(really cute and sweet)です」とアメリカの出版社に近況報告した手紙が発見されている

 

 

平岡瑤子(ひらおかようこ)の結婚後の経歴や略歴

●1958年 2人はお見合いで出逢い結婚。12歳下の瑤子は三島好みの「丸顔で可愛らしい」顔だったため三島は会うことを了承した

 

文学なんかにはちつとも興味をもたず、家事が好きで、両親を大切に思つてくれる素直なやさしい女らしい人、ハイヒールをはいても僕より背が低く、僕の好みの丸顔で可愛らしいお嬢さん、僕の仕事に決して立ち入ることなしに、家庭をキチンとして、そのことで間接に僕を支へてくれる人。

三島由紀夫「私の見合結婚」より

 

●結婚式の媒酌人は川端康成、司会はべらんめえ口調の外人タレント・ロイ・ジェームス(のちに湯浅あつ子の夫となる)が務めた

 

●1959年6月2日 長女出産

 

●1960年 UFOを三島由紀夫と目撃、海外旅行に出かける、1歳の長女、紀子は同居していた梓と倭文重に預けなんと、2人だけで3か月程旅をしていたというから驚きです。訪れた国はアメリカ、ヨーロッパ、エジプト、香港・・

 

ドナルドダックの絵葉書を買って長女、紀子宛てに、

「のり子ちゃん元気ですか?お父様とお母様はディズニィ・ランドへ行きました。とても面白く、のり子ちゃんの喜びさうなものが一杯ありました」「元気でね絵本とお帽子を送りました」

 

と締めくくっていたそうですが、なかなかハッピーな両親ですね。

 

 

●1961年 新年をローマで迎える

 

●1962年5月2日 長男・威一郎を出産、夫婦仲が良く、毎年自宅でクリスマスパーティー開き、手料理で招待客をもてなして西洋風の女主人の役を務めた

 

●三島由紀夫はペーパードライバーで運転手役を瑤子は務めた

 

●1964年8月には、家族4人で2週間ほど静岡県下田市の下田東急ホテルに滞在。毎年の家族恒例行事

 

●1969年 三島由紀夫が19楯の会候補生を引率して第3回の自衛隊体験入隊中の富士学校滝ヶ原駐屯地を、日本ATGの葛井欣士郎と共に訪れた、瑤子は楯の会会員の若者らを、姐御肌の口調で取り仕切っていた

 

●1970年7月、セギュール夫人のLes petites filles modelesを『ちっちゃな淑女たち』の題名で松原文子と共訳し、小学館から刊行(序文および訳文監修は三島が担当)。この本は小学館児童文学賞を受賞

 

●1970年11月25日に三島が割腹自殺、国民的作家でノーベル賞候補とも言われていた三島由紀夫の憲法改正を唱えたクーデター、自決は海外でも大きく報道され、その後のマスコミの取材や報道は過熱しました。

 

当日の朝、三島が髭剃りをしている頃、瑤子は2人の子供を学校へ車で送るために家を出る。その後、乗馬の練習に馬事公苑に向う途中、用件を思い出した瑤子は家に電話を入れて家政婦にそれを告げた。家政婦が受話器を置こうとすると、珍しく三島がそれをすばやく横取りし、瑤子から直接内容を聞き「ああ、そうか」と電話を置いた。それが夫との最後の会話となった。

 

 

夫、三島由紀夫の死後

●川端康成と喪主を務め、葬儀を終えたが、過熱するマスコミ対応に追われる日々

 

●三島由紀夫が切り付けた自衛官 寺尾克美(てらおかつみ)を見舞い「この度は主人が迷惑をかけました。申し訳ございません」と深々と頭を下げ謝罪

 

●三島由紀夫が壊した自衛隊総官室を全額弁償

 

●1971年「三島瑤子」名義で夫の遺作『豊饒の海』の第4巻『天人五衰』カバー画を描く

 

●1972年1月刊行の『定本三島由紀夫書誌』の完成に向け尽力するなど、三島の蔵書や遺稿の保存整理に心を砕いた

 

●1972年11月25日 三島由紀夫の命日に毎年何人かの親しい知人を自宅に招いて夕食会を開いた

 

●三島邸は「三島記念館」にし、家族は別の場所に家を建てて住むことが遺書で希望されていたが、三島の死後も住み続けた。在世当時のままの状態で維持することに努力した

 

●三島由紀夫の家は東京都大田区に今もあるロココ調の白亜の豪邸。篠山紀信がのちに撮影し写真集としても発売したのが話題に

 

●芳村真理は婦人公論で連載を持っていたおり、三島由紀夫の自宅の取材に行った時、妻・瑤子に初めて会った

 

●1976年 アメリカ旅行に出発し三島の小説『午後の曳航』を映画化した作品のプレミアショーに出席

 

●1977年 元楯の会会員・伊藤好雄と西尾俊一も加わった経団連襲撃事件、瑤子が説得にあたり瑤子の気迫に押されて投降

 

●1987年9月1日 三島由紀夫賞が創設され、瑤子は授賞式パーティーに毎年出席

 

●1988年9月9日、長男の威一郎が宝飾店「アウローラ」開店

 

●1990年9月24日に長女の紀子が結婚

 

●1995年 瑤子は初夏頃から肺真菌症が悪化し、急性心不全で死去

 

 

三島由紀夫のプロフィールや作品

名前:三島 由紀夫 みしま ゆきお
小説家
生年月日: 1925年1月14日(享年45歳)
生まれ: 東京都 東京 四谷
血液型はA型
死亡: 1970年11月25日, 東京都 市谷
映画: ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ、 憂国、 黒蜥蜴、 さらに表示
子供: 平岡威一郎、 平岡 紀子

 

●1925年官僚 平岡梓(ひらおかあずさ)の長男として誕生

 

●1947年東京大学法学部を卒業

 

●大蔵省入省するも9カ月で退職

 

●その後は執筆活動に専念

 

●1949年「仮面の告」を発表

 

●日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・大蔵官僚・皇国主義者

 

●戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補

 

●未公開インタビューでは、70歳になったらどんな大人になっているか?という質問に、いじわるなおじいさんになっているだろうね。人に良い事を言いたくないからね。人が嫌がることを言いたいから。と答えていた三島由紀夫。

 

●告白 三島由紀夫未公開インタビュー [ 三島 由紀夫 ]

 

●金閣寺改版 (新潮文庫) [ 三島由紀夫 ]

 

●潮騒改版 (新潮文庫) [ 三島由紀夫 ]

 

●花ざかりの森/憂国改版 自選短編集 (新潮文庫) [ 三島由紀夫 ]

 

●美しい星改版 (新潮文庫) [ 三島由紀夫 ]

 

 

芳村 真理のwikiプロフィールや写真

今回、三島由紀夫と交友のあった芳村真理が発言をするということですが、2人は「真理ちゃん」「三島さん」と呼び合う仲だったそうです。興味があった映画の話やジャズの話などイタリアンレストラン「キャンティ」で楽しんだそうです。

 

そして、長年封印していた話、それは、三島由紀夫にUFOが来るので浜離宮に一緒に見に行こうと度々誘われていたということ。へんな呪文を唱えたというから驚きですね・・・

 

 

芳村真理が語る三島由紀夫の仰天エピソードがこちら

没頭すると徹底的にハマるという三島由紀夫

・俳優業。主演を務めたからっ風野郎(1960年)と言う映画で熱演のあまり勢いよく倒れてしまい気絶、救急車で運ばれる事態に・・・撮影は1カ月ストップ

・三島由紀夫が熱中していたのは、ボディビル。ジムに通って鍛え上げた身体を惜しげもなく自慢し披露していた

・政治活動家。1967年自衛隊体験入隊し、1カ月にわたりレンジャー訓練を受けた。三島が発起人となり民兵組織「楯の会」結成

 

 

芳村真理のプロフィールはこちら

名前:芳村 真理 よしむら まり
女優
生年月日: 1935年4月3日 (89歳)
生まれ: 東京都 東京 日本橋
配偶者: 大伴 昭 (1968年から)、 ミッキー・カーチス (1961年 – 1964年)
兄弟姉妹: 吉村 実子
子供: 大伴 修
書籍: 一生、美しく。今からはじめる50の美習慣

芳村 真理は、日本の女優、タレント、司会者。所属事務所はHIRAKUである。 コケティッシュな顔立ちとグラマラスな肢体で若い頃は有名なモデルであり、芳村真理と同じ顔をしたマネキン人形は数十年にわたって大量に作られ、全国のデパートやブティックで多く見られた。

 

 

2人が初めて出会ったのは芳村真理が25歳だったころ、知人のパーティーの席でした。岡本太郎や大橋巨泉など様々な人がいた中で三島由紀夫を紹介されたそうです。その10年後、三島由紀夫は壮絶な死を迎えることに・・・

 

ちなみに、2人が良く訪れていたイタリアンレストランはこちら

 

 

キャンティ(CHIANTI)とは?

芳村真理が三島由紀夫と密会していたイタリアンレストランはこちら

 

裏口から入っていくのがステータスで必ず知り合いが誰かいたとか・・・仲間との密会は何だか楽しそうですね!

 

三島由紀夫はいつも角の席に座っていたそうです。

キャンティ 西麻布店
東京都港区西麻布3-17-26 サァラビル
B1F17:00~01:30 last order
12:00~01:30 last order ※土日祝
TEL:03-3404-6500

 

★地図⇒

★公式ホームページ⇒http://www.chianti-1960.com/

 

 

ところで、三島由紀夫と平岡瑤子の2人の子供は今どうされているのでしょうか?wikiプロフィールはこちら

 

 

平岡 紀子のwikiプロフィール

名前:平岡紀子 ひらおか のりこ
職業 演出家
旧姓:冨田紀子
生誕 :1959年6月2日(65歳)
日本・東京都港区虎ノ門 虎の門病院
国籍  :日本
出身校 :学習院女子中・高等科、学習院大学文学部仏文科
配偶者 :冨田浩司(外交官)
子供 :子供あり
親 :平岡公威(父)、瑤子(母)
親戚 :威一郎(弟)平岡梓、倭文重(祖父母)杉山寧、元子(祖父母)平岡千之(叔父)、美津子(叔母)平岡定太郎、なつ(曾祖父母)橋健三、トミ(曾祖父母)

 

平岡威一郎のwikiプロフィール

名前:平岡威一郎 ひらおか いいちろう
職業:実業家
生年月日: 1962年5月2日 (62歳)
生まれ: 東京都
両親: 三島 由紀夫、 平岡 瑤子
祖父母: 平岡梓、 平岡倭文重、 杉山寧
叔父: Chiyuki Hiraoka
叔母: Mitsuko Hiraoka

 

お二人は、母・平岡瑤子の死後は、母に代わり、三島由紀夫の著作権保護に努め、三島の映画論をまとめた『三島由紀夫映画論集成』の監修などに携わったそうです。

 

 

まとめ

平岡瑤子(ひらおかようこ)さんはお嬢様というタイプではなく、結構豪快な性格と肝っ玉のすわった女性だったそうですね。西洋文化に敏感で最新のファッションに身を包み海外旅行も三島由紀夫と良く出かけていました。

 

面白いエピソードがあります。瑤子は三島由紀夫が単身で自衛隊体験入隊している所を面会で訪れ、崖をロープで渡る訓練を見学し、途中宙吊りになって挫折しそうな三島由紀夫を腕組みして見つめながら、「あなた、頑張りなさい」と厳しく叱咤していたというから豪快ですね。その時のファッションが真っ白なミニスカートに白のブーツという出で立ちだったことから記憶に残ったのでしょう。

 

瑤子夫人は、三島由紀夫の死後この様に語っています。

三島が亡くなって15年。我が家は家具も飾りもすべて昔のままです。保護者が居なくなった心細さは痛いほど感じます。裸で世の中にほっぽり出された頼りなさと申せばいいのでしょうか。

 

三島由紀夫の名誉やプライバシーが損なわれそうになったとき、ようこ夫人は裁判で全力で戦ったそうです。三島由紀夫を生涯愛し、尊敬していたのが良くわかります。