目次-読みたいページに移動できます-
森徹(もりとおる)長野五輪を辞退した天才スキーヤーが戦った病や上村愛子との関係とは?「いのちの輝き」必読
2019年7月28日放送の消えた天才では上村愛子さんが14歳の時、森徹さんが当時、日本では当時、出来る人が少なかった大技ヘリコプターをする姿を見て、カッコイイと憧れた選手として紹介されました。
一体、森徹さんはどんな選手なのでしょうか。
森徹さんのwikiプロフィール
名前:森徹
名前の読み方:もり とおる
フリースタイル スキー選手
生年月日: 1973年6月29日
死亡: 1998年7月4日
森徹さんの経歴
森徹さんは1973年6月29日にスキーヤーの聖地、長野県野沢温泉村で生まれました。森徹さんは三人兄弟の末っ子でお兄さんが二人います。
長男の森晃さんはジュニアのアルペンコーチ兼旅館の専務をされていて、二番目のお兄さんはノルディック複合で長野五輪、ソルトレイクシティ五輪代表に選ばれた森敏さん、そしてご両親もアルペン競技でインターハイを制覇するスキー一家に生まれたサラブレッドでした。
森徹さんは残念ですがもうこの世にはいらっしゃいません。1998年、享年25歳という若さでこの世を去った森徹さんは悲劇の天才スキーヤーとして、今もなおその早すぎる死を惜しまれています。
一体、森徹さんはどんな人生を歩んだ来られたのでしょうか。
森徹さんは元々アルペンスキーをされていて、1995年 全日本フリースタイルスキー優勝をしましたが、長野県飯山北高等学校卒業後、1996年にモーグルに転向、カナダ留学を通して実力を磨きました。
モーグルに転向してからも、
1996年 GEN CAPさのさかモーグル優勝
1996年 ノースアメリカンカップ優勝
1997年 ワールドカップ日本代表
1998年 ワールドカップ日本代表
と、すぐにその頭角を現し、翌年1998年に開催される長野五輪のモーグル代表候補に選ばれました。
明るい性格でチームのムードメーカー、6歳年下の上村愛子さんの事も妹の様に可愛がっていたそうです。
そして、森さんはオリンピックに向け順調で国際大会でも27.23の高得点で優勝を果たしました。
ちなみにこの成績は二年前のリレハンメル五輪で金メダルをとった記録27.24と僅か0.01差、金メダルにとても近い位置にいたことが分かります。当時、日本でそこまで活躍する選手がいない中、世界からも注目されていた選手でした。
しかし、念願の地元開催のオリンピックを前に、森徹さんに残酷すぎる現実が待ち受けていました。
それは、長野五輪5か月前のこと。絶好調ではありましたが、時折、腹痛を抱えていた森さんは念のために病院で検査を受けることにしました。
オリンピックに向け、海外合宿や練習に励む中のことでした。そんな夢や希望に溢れていた1997年9月、森さんはスキルス胃癌を告知されてしまったのです。
治療をしないと余命は3、4か月と宣告され、もし手術をしないと年も越せないと言われました。五輪の内定通知から10日のことだったそうです。
森さんは治療に専念するため、夢だったオリンピックを断念せざるを得ない状況でした。しかし、森さんは必ず生きてモーグルスキーヤーとして復活すると信じていました。
手術を受け、抗がん剤治療を開始、治療をする中、長野オリンピックが始まり、里谷多英さんが金メダルを獲得した時、スティーブコーチの通訳を務めたり、お兄さんの試合を観戦したりもされていたそうです。
痛みや吐き気、下痢の症状を抱えながらも、かつて練習を共にした仲間の晴れ舞台を観客席で応援したい。死の淵に立っていた徹さんは自分の状況を誰にも話していませんでした。
森徹さんの体調は日に日に悪化していきました。腹水が溜まりガンが再発していることが判明しましたが、森さんは主治医に二日後に迫る全日本フリースタイル選手権大会に出たいと申し出たそうです。
この状況であまりに無謀なお願いでしたが、自分にとってはこの大会がオリンピックだと説得し、父親の行成さんもその希望を叶えてあげたいと一緒にお願いしました。
点滴と痛み止め、腹水を抜く治療を行い、徹さんは選手権に出場し、本能で滑り切りました。
そして、大会の後、再入院をしますが、治療の施しようがなくガン告知から僅か10ヵ月後、永眠されました。
この徹さんの闘病生活について、そして森さんのご家族やご兄弟について、下記の森徹さんの追悼ページに克明に記録されています。
森徹 追悼ページURL http://www.avis.ne.jp/~sakaya/
実は森徹さんにはカナダで知り合ったフェリッサさんというガールフレンドがいらっしゃったそうです。
1998年6月29日、病室で25歳の誕生日を迎えた日、フェリッサさんもお祝いにカナダから訪れました。
徹さんの最愛の恋人、そしてご家族と懸命に生きた日々が実話を描いた感動ラブストーリーとして森尾理奈によって書籍化され、また、清水浩一さんは「五輪の夢」を武器に、スキルス胃がんと闘った25歳のアスリートとして森徹さんの本を出版されています。
トオル、君を忘れない-森徹のオリンピック
いのちの輝き
25歳という若さで、そして、念願の地元で開催される長野オリンピックを目の前にして突き付けられた現実はなんと残酷だったのでしょうか。その悔しさと悲しみを想像するだけで言葉を失います。
死と向き合う恐怖の中、魂を最後の最後まで消化する姿は人間として美しく、尊い。そして、森徹さんの驚異的な生命力の強さを物語っています。
死は平等に誰にでもいつか訪れるものですが、その終え方を考えさせられます。森徹さんの安らかな眠りを心よりお祈り申し上げます。