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ビョルナルさんが教えてくれたクロスカントリー本来の意味!サラ・レナー選とベッキー・スコット チームが銀メダルを獲得した裏に隠された秘話とは?wikiプロフィールやインスタ写真は?
2/8 (木) 19:57 ~ 20:54 関西テレビ 奇跡体験!アンビリバボー【実録!夫が殺しにやって来る!今もおびえ暮らす妻】オリンピック史上最も美しいシーンと言われる、2006年トリノ・オリンピックのクロスカントリー競技で起きた奇跡の実話とは?
番組概要
・エリート夫は束縛男!3度殺されかけた妻!突然殴打!突然銃撃!母子3人…恐怖におびえる日々
・冬季五輪で起きた奇跡!他国選手のピンチ救出!善意の感動秘話!
2006年 トリノオリンピック
この奇跡の実話は2006年クロスカントリー競技から始まりました。
まずは、こちらの選手をご覧下さい
左がベッキー・スコットという選手で右がサラ・レナーという選手です。
2人は共にカナダの代表選手で、女子クロスカントリースキー チームスプリントという競技に出場し、見事銀メダルを獲得しています。
しかし、そのメダル獲得の裏には、オリンピックに相応しいスポーツマンシップにのっとった感動のストーリーが隠されていたのです。
サラ・レナーに起こった悲劇
サラ・レナー選手は競技中に致命的とも言えるトラブルに見舞われます。それは、左のポール(ストック)が折れてしまったのです。平面や坂を進まなくてはならないクロスカントリー競技にとってポールはなくてはならないものです。
サラ・レナー選手はそれでも、諦めずに必至に1本のポールで前に進もうとします。
最も記憶に残る感動の瞬間1
サラ・レナー選手が悪戦苦闘しながら必死に前に進もうとしている姿を見て、助けた人がいます。それは、ノルウェーのヘッドコーチのビョルナル氏(Bjornar Hakensmoen)でした。
国対抗の競技でいわばライバルチームの選手です。しかし、そこに迷いや躊躇はありませんでした。ノルウェーのコーチは予備のポールをすかさずサラ・レナー選手に手渡します。そのポールは12㎝もサラには長いものでしたが、サラは見事、挽回し、ベッキーとサラのカナダチームは銀メダルを獲得しました。
気になる結果は
1位 スウェーデン
2位 カナダ
3位 フィンランド
そして、気になるノルウェーの結果は・・・
惜しくも4位
ノルウェーチームは惜しくも4位でメダルを逃してしまいました。もしあの時、ポールを差し出していなければ、もしかするとノルウェーはメダルを獲得していたかもしれません。しかし、これに異議を唱える人は誰もいませんでした。誰かが失敗して得た栄光よりも、正々堂々と戦って出た結果に人々は感動したのです。
サラ・レナー wikiプロフィールやインスタ画像
名前:サラ・レナー Sara Renner
クロスカントリー スキー選手
サラ・レナーはカナダ、ブリティッシュコロンビア州Golden出身の元クロスカントリースキー選手。 ウィキペディア
生年月日: 1976年4月10日 (41歳)
生まれ: カナダ ゴールデン
身長: 168 cm
配偶者: トーマス・グランディ (2003年から)
学歴: ウォータールー大学
子供: アリア・グランディ
ベッキー・スコット wikiプロフィールやインスタ画像
名前:ベッキー・スコット Beckie Scott
クロスカントリー スキー選手
レベッカ”ベッキー”・スコットはカナダ、アルバータ州Vegreville出身の元クロスカントリースキー選手。1990年代後半から2000年代半ばに国際大会で活躍、2006年からはIOCの選手委員を務めている。 ウィキペディア
生年月日: 1974年8月1日 (43歳)
生まれ: カナダ ベグレビル
身長: 170 cm
配偶者:Justin Wadsworth(ジャスティン・ワズワース 2007年から)
両親: ウォルター・スコット
学歴: ウォータールー大学
では、その時の感動の瞬間をご覧ください!!
早すぎて分かりにくいですが、1:06秒ぐらいのところで男性が選手に素早く何かを差し出しているのが分かります。他の選手の邪魔にならない様に本当に瞬時の行動です。
後に、ノルウェーのコーチはカナダとノルウェー両国から表彰され、カナダからは食べきれないほどのメープルシロップが贈られたそうです・・・
こちらがコーチのビョルナルさんです。満面の笑みですね!
ビョルナルさんがどうして、瞬時にその様な行動に出たのか?それは子供の頃に「クロスカントリーで一番大事なのは助け合うこと」と学んだからだそうです。
そもそもクロスカントリーとは雪深い北欧で生活のための移動手段とされていました。仲間と共に助け合い目的地に到達することが最も大切だったのです。
しかし、その精神はやがて競技となり本質が失われ、勝つことが最も重要になってきました。勝利至上主義が重要視されるようになったのです。
ビョルナルさんは、あれは反射的だったとのちに語っています。ビョルナルさんにとっては当たり前の事で身体に染みついた行動だったのです。
そして、このクロスカントリーの感動秘話はここで終わりません。
時が経つこと、8年、ソチオリンピックで再び人々を感動させる出来事が起こりました。
2014年 ソチオリンピック
アントン・ガファロフ選手に起きた悲劇
決勝を懸けて世界のトップ選手が白熱したレースを展開していた時、悲劇はロシアのアントン・ガファロフ選手に起こりました。競技中にスキー板を折る致命的なアクシデントに見舞われたのです。棄権を余儀なくされる事態、板を変えるだけでかなりのタイムロスになるのは誰もが予測したことでした。
最も記憶に残る感動の瞬間2
アントン・ガファロフ選手が転倒し立ち上がり、折れたスキー板で諦めずに滑り出そうとしているところに一人のスタッフが駆け寄り瞬時にスキー板を履き替えさせると、アントン・ガファロフ選手は無事、競技に戻ることが出来ました。
残念ながら、メダル獲得には至りませんでしたが、見事5位で完走を果たしました。
助けたのは・・・
助けた男性はロシアのスタッフかと誰もが思っていましたが、実はジャスティン・アズワースというカナダのコーチであることが分かりました。
この行動に人々は感銘を受け、金メダルに値すると称賛し話題になりました。そして、意外な事実がそこにはありました。
このコーチの正体は・・・
ジャスティン・アズワース(カナダのコーチ)
ジャスティン・アズワースは2006年でノルウェーのコーチに救われたサラ・レナー選手とチームを組んで銀メダルを獲得したベッキー・スコット選手の旦那さんだったです!!!
これこそ、まさに、感動の連鎖ですね。
その映像はこちら(55秒目当たりから)
友情、連帯、フェアプレーの精神
五輪憲章は「友情、連帯、フェアプレーの精神」を謳っています。このトリノとソチオリンピックで起こした二つの行動は、まさにこれを証明し、実践したと言えるでしょう。
まとめ
トリノオリンピック終了後、敵チームを救ってくれたことに感動しカナダ中からビョルナルさんを称える声が殺到し、称賛しました。後日、カナダに招待されサラさんと伝統のパレードに参加したそうです。コメントを求められても、「私はただ、当たり前のことをやっただけ」と応えるビョルナルさん。
ノルウェーのチームはトリノオリンピックの成績が低迷。メダルは4個のみでした。そして、責任を問われたビョルナル氏はノルウェー代表チームのコーチを辞任することになりました。
しかし、ノルウェーの選手たちはあの時の敗因は自分たちの実力不足だったと語っているそうです。そして、ビョルナルさんは現在はIT企業のCEOをされているそうです!
もうすぐ、ヒラマサオリンピック2018が始まります。どんな感動ストーリーが生まれるのでしょうか!フェアプレーが行われることに期待しましょう!
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