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瀬古天哩(せこてんり)の父親は天才ランナー瀬古俊彦だった!別の道に進んだ天才二世は今
1/13 (日) MBS毎日放送 18:30 ~ 20:54? 消えた天才 ★松坂大輔が人生で唯一勝てなかった天才!大追跡SP★
番組概要
▽平成の怪物・松坂大輔が完敗…伝説のNo.1エースが中学で消えた!25年ごし真相告白▽箱根駅伝に“一度だけ”東大が出場!追跡すると…官僚…一流企業役員…衝撃の今スが中学で消えた!25年ごし真相告白▽箱根駅伝に“一度だけ”東大が出場!追跡すると…官僚…一流企業役員…衝撃の今
天才である親の才能を受け継ぎ、活躍されている親子は、
・相撲 貴ノ花→横綱 貴乃花
・ハンマー投げ室伏重信→室伏広治(アテネ金)
・アニマル浜口→浜口京子
など、多くいらっしゃいますが、一方で親の才能を受け継ぐも全く別の道に進んだ二世も数多くいます。例えば、
・桑田真澄→息子のMatt(マット)はタレント
・プロ野球 高木豊→高木俊幸、善朗、大輔の息子三人はサッカー
ということで、今回、紹介されるのは天才の親の元に生まれながらその後を継がなかった二世を追いかける新コーナー「別の道に進んだ天才二世は今」です。
今回は東京都中央区にあるベースボールマガジン社で営業を担当しているという天哩(てんり)さん26歳です。
父親は一体誰なのでしょうか?
天哩(てんり)さんの父親は誰?
・目が似ている
・顔の長さが似ている
・羽生選手や大谷選手など、国民が応援するような人
・結婚式は報道陣が何百と訪れる盛大なもの
・奥さんはお見合いで知り合った聖子ちゃんカットがお似合いの美恵(よしえ)さん現在58歳
・息子は3人。長男→昴(すばる)さん、次男→亜土夢(あとむ)さん、三男→天哩(てんり)さん、四男→聖醐(しょうご)さん
・オリンピック二度出場した天才
・視聴率20%超え人気ドラマ「陸王」にも俳優として出演(セリフが7文字、5秒ぐらい)
お分かりになりましたでしょうか?そう、天才ランナー瀬古俊彦さんでした。
瀬古俊彦 wikiプロフィールやインスタ画像
名前:瀬古利彦
せこ としひこ
オリンピック選手
生年月日: 1956年7月15日 (年齢 62歳)
生まれ: 日本 三重県 桑名市
身長: 5.577 ft
配偶者: 瀬古 美恵
学歴: 早稲田大学
子供: 瀬古 天哩、 瀬古 聖醐、 瀬古 昴、 瀬古 亜士武ウィキペディア
瀬古利彦さんは箱根駅伝の花の二区で早稲田大学 4年連続エース。マラソンでも国際大会で15戦10勝を飾るなど目まぐるしい活躍ぶりでした。当時、瀬古カットという角刈りが流行るほどだったそうです。
現在は、東京五輪マラソンで強化戦略プロジェクトリーダーを務めていらっしゃいます。
瀬古天哩 受け継いだ天才の才能
小学校の時、驚くほど足が速かったそうです。
小学6年生の時、初の長距離で出場した1000mはダントツ1位で、3:00.97。
渋谷区の1000mの大会新記録を作るほど。ちなみに、この記録は15年経った今でも破られていないそうです。父親の小学生時代の記録より早いそうです。
父親の才能が自分にもあるのではないか、父親の瀬古利彦さんも、天哩さん自身でもそう思ったそうです。
箱根駅伝を目指す
自分も才能があると思った天哩さんは、実は箱根駅伝を目指し、父親と同じ道に進みました。
瀬古利彦さんは自分の息子たちには陸上を教えていません。天哩さんに才能を見出した利彦さんは天哩さんにだけ陸上を勧めました。
親の期待を感じていた天哩さんは高校から陸上を本格的に始めました。陸上を初めて1年で全国大会出場を果たすなど、誰もが将来を期待したそうです。
天哩さんが進んだ大学は名門、東海大学。瀬古天哩さんは夢に向かって練習を重ねていました。
成績が伸びない天哩さん。父親は天才だったのに、がっかりだと全く知らない人から言われる日々でした。
2012年当時、東海大学では必ず1学年に1人が選手を引退し裏方のマネージャーに転向するというルールがありました。
立候補者がおらず、部員全員の投票で決められることになり、瀬古天哩さんがマネージャーとして選ばれてしまったのです。
箱根駅伝出場の夢が完全に断たれた瞬間でした。今まで父親と比較され我慢する日々は何だったのか?頭が真っ白で絶望し涙が止まらなかったそうです。
陸上部を辞めようと思っていましたが、父親の利彦さんは「父さんの息子大変だったろ。でも部活は続けろ。四年間やり遂げなさい」という言葉で励ましました。
息子の苦悩を分かっていた利彦さんの想いは、勝つのが当たり前と思われる天理さんの苦労を労い、申し訳ないというものでした。
そして、「たとえ夢が破れても、自分の決めたことをやり続ければ、将来、振り返った時にあの時、辛抱したから糧になったと思える人間になってほしいから」というものでした。
父親からの初めての教えに、天哩さんは心を救われたそうです。考えも行動も全てが変わったそうです。走ることではなく、決めた事をやり遂げることが親孝行になると悟った天哩さんはマネージャーを続けました。
天哩さんが4年生の時、東海大学は4年ぶりにシード権を獲得しました。レース後、選手たちはチームのために尽くした天哩さんを胴上げし感謝しました。
あの時に諦めていたら彼の人生は変わっていたと、思い通りにいかないのが人生だからと語る瀬古俊彦さん。
天哩さんは瀬古俊彦の息子として生まれたことでプレッシャーが凄く、生まれてこなければよかったんじゃないかと思う時もあったそうです。
しかし、瀬古俊彦の息子じゃないとできない経験をたくさんしてきたことに、今は感謝しているそうです。
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