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桑田真澄が憧れ続けた消えた清水哲の壮絶人生や清水哲さんの本は?
5/26 (Sun) MBS毎日放送 18:30 ~ 21:00 消えた天才★ダルビッシュ有&井上尚弥&吉田沙保里&桑田真澄SP★
番組概要
▼桑田真澄が憧れ続けた悲劇の天才投手▼井上尚弥が唯一完敗した日本人ボクサー▼吉田沙保里が恐れた天才タックラー▼全国各地の「ダルビッシュ2世」を大追跡
2019年5月26日放送の消えた天才では、桑田真澄が憧れ続けた悲劇の天才投手、清水哲さんが紹介されます。
清水哲さんとは一体どんな人物で、そして、二人はどんな関係だったのでしょうか。桑田真澄さんが憧れ続けた天才は、PL学園の1歳上のピッチャーでした。
しかし、清水哲さんは大学に進学後、ある悲劇が起こって野球界から姿を消したそうです。
まずは、清水哲さんのプロフィールをご覧ください。
清水哲 wiki風プロフィールやインスタ画像
名前:清水 哲
生年月日:1966年4月9日生まれ
出身:PL学園高等学校野球部出身
清水哲さんの天才ぶりとは
清水哲さんは守口市立八曇小学校から守口市立八曇中学校へ進学し、中学校では準硬式野球大阪府下大会二年連続優勝投手となりました。
高校は野球の名門、PL学園高等学校野球部に進み、高校3年の春・夏と甲子園に出場を果たしました。
夏の大会決勝戦、第56回選抜高校野球大会準優勝では9回裏に劇的な同点ホームランを打ち、準優勝に終わったものの、決勝進出の原動力となりなした。
さらに66回全国高等学校野球選手権大会でも準優勝を勝ち取り、1学年後輩である桑田真澄や清原和博とともに日本高校野球選抜日韓親善試合の韓国遠征メンバーにも選ばれ大いに活躍しました。
高校卒業後は、同志社大学文学部に進学しましたが中途退学され、そのまま野球界から消えてしまいました。
突然襲った悲劇とは
同志社大学へ進学した清水さんは野球を続けていました。
1985年9月22日、清水さんが1年生だった時の公式戦で、2塁へヘッドスライディングを試みた清水さんが相手方のショートの選手と激突し、首の骨を折ってしまったのです。
すぐに救急で運ばれ近畿大学付属病院救命センターで手術が行われ、清水さんは一命を取り留めましたが、頸椎損傷のため首から下が麻痺した状態になりました。
怪我名は第4・5頚椎脱臼骨折。とても野球が出来る状態ではありませんでした。
リハビリ生活
怪我から9か月が経ったころ、星が丘厚生年金病院へ転院しリハビリを行い、1年にか月の入院生活の後に自宅療養へと切り替わりました。
頸椎損傷は不治の怪我のため、そこから自宅で8年間過ごされたそうです。とても平坦な人生とは言えませんでした。
清水さんのお父様が脳梗塞で倒れてしまったため、お母様が父親の看病をする事になり、清水さんは病院を転々としながら一人暮しの準備を始めなければなりませんでした。
「桑田よ、俺を殺してくれ」と頼むほど追い詰められ苦しんだ清水さんでしたが、生きる力を野球から、そして大切な仲間から得たそうです。
口にくわえたスティックでパソコンを使い、9年かけて書き上げた著書「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」がベストセラーとなりました。
その後、清水さんはご結婚もされています。
障害を抱えながらも決して諦めず、野球、甲子園がくれた「生きる力」をさらに培った清水哲さんは現在、執筆活動や講演をしんがら障がい者の方を支える活動もされています。
清水哲さんの著書
1997年8月に清水哲氏は「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」という本を出版されています。
2000年1月に「詩集 生命の話をしよう」を出版
2009年6月に「車いすの不死鳥―絶望の淵から夢を追って」という本を出版
2004年3月1日に怪我から19年が経とうとし、今まで書き貯めた詩集を出版。
清水哲さんの詩集「雫・扉・歩」は下記のホームページより購入可能なようです。
★購入はこちらから
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★http://baseball.myeki.net/080702.html
番組では桑田氏との30年間にわたる絆が紹介されます。
消えた天才 動画CM
https://youtu.be/SBsSk6EpRnw
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