安田裕一消えた天才は前田健太が唯一負けた世界一投手!野球を辞めた理由や現在の職業は?wikiプロフィールやインスタ画像あり

安田裕一(やすだゆういち)平安高校野球部入部後の経歴は?現在も時速140キロ!?入団トライアウトもいけるレベル!

 

前田健太投手と言えば、マエケンという愛称で親しまれているメジャーリーガーですが、その才能はもちろん子供の頃から開花していました。

 

 

そして、現在、メジャーリーガーとして華々しく活躍する前田投手が絶対に勝てないと思わせた天才が過去にいたそうです。

 

 

その名は安田裕一さん。

 

 

今回は二人がどのように出会い、安田裕一さんがどれぐらい凄かったのかをご紹介します。

 

 

まずは前田さんのプロフィールをおさらいしてみましょう。

 

 

前田健太 wikiプロフィールやインスタ画像

 

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名前:前田健太 まえだ けんた
プロ野球選手
前田 健太は、大阪府忠岡町出身のプロ野球選手。右投右打。MLB・ロサンゼルス・ドジャースに所属。代理人はワッサーマン・メディア・グループ。メディア方面のマネジメント契約はアワーソングスクリエイティブ。愛称はマエケン。 ウィキペディア
生年月日: 1988年4月11日 (年齢 30歳)
生まれ: 日本 大阪府 忠岡町
身長: 185.4cm
年俸: 300万アメリカ合衆国ドル (2016年)
所属チーム: ロサンゼルス・ドジャース (#18 / 投手)
★公式ブログ⇒https://ameblo.jp/maeken-18/

 

前田健太 高校までの実績

0歳

・1988年4月11日 大阪府忠岡町で生まれる

 

9歳

・1997年 東忠岡小3年時に「岸和田イーグレッツ」で野球を始める

 

15歳

・2003年 忠岡中で「忠岡ボーイズ」に所属。日本選抜として橋本良平とバッテリーを組み世界大会に出場し、優勝。MVPに輝いた

・2004年4月  PL学園高校に入学

 

16歳

・2004年07月31日  夏の府大会では史上初の決勝再試合となった大阪桐蔭戦で先発。7失点ながら打線の援護を受けて完投し、チームは2年連続で甲子園出場を決めた。

・2004年8月11日  1年夏に甲子園初登板

 

前田健太 高校卒業後の略歴

18歳

2006年  広島東洋カープにドラフト1位で指名

 

24歳

2012年1月1日 フリーアナウンサー 成嶋早穂と入籍

 

 

前田 早穂 wikiプロフィールやインスタ画像

 

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名前:前田 早穂
アナウンサー
前田 早穂は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元東海テレビアナウンサー。旧芸名、成嶋 早穂。 千葉県柏市出身。ケイダッシュグループのアワーソングスクリエイティブ所属。 ウィキペディア
生年月日: 1985年7月19日 (年齢 33歳)
生まれ: 日本 千葉県 柏市
書籍: 前田家の食卓。: 食べて体を整えるレシピ
学歴: フェリス女学院大学緑園キャンパス、 東京家政学院中学校

 

 

 

25歳

2013年9月12日、前田早穂との間に第一子となる女児が生まれる

 

 

28歳

2016年1月7日 ロサンゼルス・ドジャースと8年総額2500万ドル(約29億5000万円)契約

 

 

 

前田健太 天才との出会い

前田健太さんが消えた天才 安田裕一さんに出逢ったのは14歳の頃。

 

 

前田さんは打者としても超一流でした。そんな前田さんが3番ピッチャーとして打席に立ったある試合、ただならぬ空気を醸し出し、審判がソワソワして落ち着かない先にひときわ体の大きな投手がいました。

 

 

当時、天才 安田裕一さんは中学二年生にもかかわらず、豪速球(推定135㎞)を投げていたそうです。それまで自分の球が一番早いと自負していた前田健太さんは大変ショックを受けたそうです。

 

 

そんな前田健太さんが唯一勝てなかった安田裕一さんとはどんな人物なのでしょうか?

 

 

消えた天才 安田裕一の凄いところ

安田裕一さんが活躍していた同世代は、1988年生まれの黄金世代と呼ばれ、田中将大や坂本勇人、斎藤佑樹選手など現在、プロで大活躍している選手がいた時代です。

 

 

そんな中でも、中学時代、天才 安田さんは才能溢れるライバルの中でもトップクラスの実力を誇っていたそうです。

 

 

中学時代の監督 能勢さんは、安田さんの球は軽く投げているようで手元で伸びる速球で、今まで安田さんを超える選手はまだ見ていないと語っていました。

 

 

中学三年生の時、前田健太と一緒に日本代表に選ばれ、世界大会の「世界少年野球大会」に出場しました。

 

 

決勝戦は日本VSブラジルで、5対2で何とかリードを迎え最終回に持ち越しますが、強豪ブラジルに追いつかれ一打同点に追いつかれてしまいます。

 

 

その時に抑えのピッチャーとして登場したのが、当時15歳の安田裕一さんでした。

 

 

安田裕一さんは自慢の剛球で見事三振にしとめ日本を世界一に導きました。

 

 

安田裕一 消えていく

中学卒業後は、前田健太さんは名門のPL学園に進学し、高校一年で甲子園の土を踏みました。

 

 

高校卒業後はドラフト一位で広島カープに入団しプロの世界でも天才、安田さんと競うはずでした。

 

 

しかし、前田さんは高校ぐらいから安田裕一さんの名前を聞くことは一度もなかったそうです。

 

 

ひっそりと表舞台から姿を消した安田裕一さんはどうして野球から去ったのでしょうか。

 

 

安田裕一 消えた理由は?

あれから15年、天才 安田さんは大阪にいるそうです。

 

 

中学時代の面影を残し、産業廃棄物の処理事業に関わる会社で働いているそうです。

 

 

当時の話を聞くと、中学卒業後、甲子園4度の全国制覇を果たした京都の平安高校に進学し野球部に入り、一年生からベンチ入りしていた安田さんは、秋には公式戦で一年エースとして登板し見事完封。

 

 

後にプロとなる現西武WBC日本代表の炭谷 銀仁朗選手とバッテリーを組み、甲子園でも活躍すると誰もが思っていました。

 

 

龍谷大平安高校の当時の監督、原田さんも、キャッチボールしている姿を見て誰もが凄いなと思うほど光っていたそうです。

 

 

しかし、高1の冬、正月休みののち、安田さんは練習に来ることはなかったそうです。

 

 

理由は肘の故障でした。そして安田さんは突然、野球部を退部しました。

 

 

今でも大きな傷跡が左ひじに残るほど大きな怪我、左肘靭帯損傷で、当時、ボールを握るだけで痛みを感じたそうです。

 

 

術後、リハビリに一年半はかかると言われ、高校三年の夏の大会に間に合わない事を悟った安田さんは、ベンチに下がって応援に回るのが嫌で、その時点で野球を辞める事を決断したそうです。

 

 

天才と呼ばれた安田さんのプライドが邪魔をしたのか、リハビリから逃げた天才は表舞台から姿をけしました。

 

 

その後、安田さんは高校を退学し、就職をしました。野球の事を忘れるため仕事に打ち込みました。

 

 

あるとき、家に帰ってテレビをつけると、かつてのライバル前田健太の姿が映っていました。あることを思い出したそうです。

 

 

それは15年前、世界一を決めた世界大会優勝後の事でした。

 

 

前田健太さんが「俺は高校、PLに決めた。安田は?」

 

 

安田さんは「俺は京都の平安に決めた」。「次は甲子園で勝負だな」と応える前田さんに、「その先のプロ野球でもな」と応え握手を交わしたことでした。

 

 

前田健太さんはあの時の約束を守った、自分は何をやっているんだと小さなプライドにこだわり約束を守れなかったことに後悔した安田さんは「また野球がやりたい」と思ったそうです。

 

 

そして、今、安田さんは少年野球の監督としてグラウンドに立っています。

 

 

その場所には自分の息子、10歳の安田雄斗君、9歳の裕愛(ゆうあ)君と8歳の凱里(かいり)君の3人もいます。

 

 

前田健太さんがいたから、また子供と一緒に野球が出来ると感謝しているそうです。そして、自分が怪我をした経験から、子供たちには同じ思いをさせたくないと感じているそうです。

 

 

前田健太 安田裕一 再会

二人は15年ぶりに消えた天才の番組で再会しました。

 

 

直前まで知らされていなかった前田健太さんにはサプライズですが、そんな前田さんに安田さんは伝えたいことがあったそうです。

 

 

まず、突然、野球を辞めた経緯を伝え、世界大会優勝後に交わした約束は守れなかったけれど、前田健太さんのおかげでまた監督として野球に携わっているということを伝えました。

 

 

そして、安田さんは今では肘は完治していて草野球もしているそうですが、球速はなんと140㎞出たそうです。

 

 

これは入団トライアウトいけるレベルだそうです。

 

 

トライアウトとは

トライアウト(tryout)とは、本来は適性検査・試験興行を意味する。 一般にスポーツ競技の団体に加入を希望する選手が、団体関係者の前で自己の能力をアピールし、契約を目指す場のことをいう。

 

 

安田裕一 まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

 

二人は青春時代、ライバル、そして同志としてお互いの人生に大きく影響を与え合っていました。

 

 

そして、再び、野球のフィールドで出会い、今後も精神的に良い影響を与え合っている素晴らしい関係でした。

 

 

安田裕一さんのトライアウトもあるかもしれませんね!そして、安田さんの三人の男の子が今後、プロ野球の舞台で活躍する日もあるかもしれませんね!

 

 

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