富田玄輝は錦織圭が勝てなかった消えた天才(予想)喜多文明と3人で盛田正明テニス基金の第4期生の現在

錦織圭が勝てなかった消えた天才は誰?盛田正明テニス基金の第4期生の今

 

7/14 (Sun) MBS毎日放送 18:30 ~ 20:54 消えた天才 ★錦織圭&北島康介&古田敦也が勝てなかった天才SP★

 

番組概要
錦織圭が3戦全敗した天才が20歳で消えた…衝撃真相▽北島康介が0勝7敗!因縁のライバルは運命のレースで悲劇▽古田敦也が「完璧な投手」と語る天才が謎のドラフト拒否

 

 

今回は、錦織圭選手が勝てなかった消えた天才が紹介されます。年収37億円を稼ぐ日本一のスポーツ選手と言っても過言ではないケイニシコリ。

 

そんな錦織選手が勝てなかった相手がいるなんて、一体誰なのかとても気になります。

 

錦織選手は若い頃からアメリカへ渡り、テニス漬けの生活をしていたことは有名ですが、実はジュニア時代に盛田正明テニス基金の第4期生として、2003年9月に錦織圭選手と他二人の選手がアメリカのフロリダにあるIMGアカデミーに渡っています。

 

その天才テニス選手の名前は富田玄輝さんと喜多文明さん。言葉も分からない異国の地で十代そこそこの選手がテニスのエリート教育をともに受けたライバルであり友であろう存在。

 

恐らく、錦織選手が勝てなかった消えた天才はこのお二人のうちの一人かと推測しているのですが、現在、富田玄輝さんと喜多文明さんが何をされているのか調べてみました。

 

まずは、錦織選手のプロフィールと経歴をおさらいしてみます。

 

 

錦織圭のwikiプロフィールやインスタ画像

 

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名前:錦織圭
名前の読み方:にしこり けい
テニス選手
生年月日: 1989年12月29日 (年齢 29歳)
生まれ: 日本 島根県 松江市
身長: 5.84 ft 178cm
全豪: ベスト8(2012・15・16・19)
居住地: アメリカ合衆国 フロリダ州タンパ
両親: 錦織恵理、 錦織清志

 

 

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錦織圭さんは、島根県松江市出身の言わずと知れた男子プロテニス選手で、現在は日清食品に所属しています。

 

錦織圭さんは2014年、全米オープン男子シングルスで準優勝者を果たし、アジア男子史上初のグランドスラム4大大会シングルスファイナリストに輝いたのを皮切りに、次々と偉業を成し遂げてきました。

 

シングルスとしてはアジア男子史上初のATPワールドツアー・ファイナル出場者で、グランドスラムに次ぐ格付けのATPワールドツアー・マスターズ1000では4度の準優勝を果たしました。

 

2008年、18歳の時にデルレイビーチ国際テニス選手権で優勝し、松岡修造に続き、日本男子史上2人目のATPツアーシングルス優勝者となりました。

 

以降、優勝を重ね、日本人史上最多の12度の優勝、ダブルスでは準優勝を1度記録しています。

 

また、2016年のリオデジャネイロオリンピックの男子シングルス銅メダリストとなり、テニス競技では日本選手として96年ぶりのメダルを獲得しました。

 

世界ランキングの自己最高位はシングルス4位で、この記録はアジア男子歴代最高位です。

 

そして、シングルスで日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たしています。

 

ここ最近は調子が悪いと言われていましたが、2019年に見事復活、ブリスベン国際で約3年ぶりのツアー優勝を果たしました。

 

米スポーツ専門局ESPNが発表したアスリート名声ランキング「ワールド・フェイム100」で28位にランクインしたそうです。

 

そんな錦織圭選手が初めてラケットを手にしたのは5歳の時です。父親と当時、9歳姉と一緒にテニスを楽しんでいたそうです。

 

父親の錦織清志さんは土木技術者、母親の錦織恵理さんは主婦で、テニスの英才教育を受けていたわけではありませんでした。

 

テニスを始めたきっかけはが清志さんが社員旅行で行ったハワイで買ってきた一本の子供用のラケット。

 

すでにお姉さんがテニスを始めていたので、姉と同じ松江市内の「グリーンテニススクール」に通い始めたそうです。

 

錦織選手は体は小さいですが、球筋がよく才能があると当時のコーチにも才能を見出されていました。

 

やがて、その才能は努力とともに開花し、小学6年生の時に全国小学生テニス選手権大会で優勝を果たしたのです。

 

テニス関係者の目にも留まるようになり、松岡修造氏が開催する強化合宿「修造チャレンジ」に参加したのは有名な話です。

 

「本気でプロになりたい」と志すようになり、ソニーの創業者である故盛田昭夫氏の実の弟で、日本テニス協会名誉会長の盛田正明氏が主宰する奨学金制度である「盛田正明テニス基金の第4期生」に見事選ばれました。

 

これは、2003年、錦織選手が中学2年生の13歳の時でした。そして、その4期生に一緒に選ばれたのが富田玄輝さんと喜多文明さんでした。

 

留学生活は非常に厳しいものだったと言います。

 

二人は後に錦織選手がこの留学生活で急成長を遂げたこと、朝の5時半から夕方の6時までテニス漬けの生活でしたが、13歳とまだまだ家が恋しい年ごろなのに一度も帰りたいと口にしたことがなかったと語っています。

 

錦織圭選手はこの留学2年目で二人より力をつけ、3年目で盛田正明氏のサポートを得て1000万円がかかる専属コーチをつけてもらったそうです。

 

そして、17歳でプロになり、運命のマイケル・チャンコーチとの出会いを果たして以降の躍進劇は周知のとおりです。

 

 

 

 

富田玄輝 現在は?

富田玄輝さんはブリヂストンスポーツセールスジャパン株式会社 テニス事業本部 テニス営業部に所属されています。

 

 

喜多文明 現在は?

名前:喜多文明 きたふみあき
国籍:日本
出身地:大阪府豊中市
出身校:さいたま市立大原中 – Bradenton Academy、アットマーク国際高 – 慶應義塾大卒
生年月日:1989年1月21日
年齢:30歳
性別:男
身長 / 体重:170cm / 62kg
利き腕 / バックハンド
右 / 両手
アメーバブログ:https://ameblo.jp/fumiaki-kita/

 

喜多文明さんは現在もテニスを続けているようです。リコーのテニス部に所属されています。

 

ランキング情報はJTA男子シングルス149位、JTA男子ダブルス64位となっていますが、喜多文明さんはブログをされていて、2012年に慶応義塾大学を卒業し、4月からサラリーマンをしている、そして、2年生の途中で庭球部を退部という記事があるので、もしかすると喜多文明さんの可能性もありますが、恐らく、消えた天才は富田玄輝さんではないかと推測しましたが、放送で紹介された消えた天才は藤井貴信さんでした。

 

 

藤井貴信さんについてはこちら

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藤井貴信(ふじいたかのぶ)氏の現在は?錦織圭が3戦全敗全く勝てなかった同世代の天才の現在やテニスを辞めた理由は?

 

 

 

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