吉藤健太郎(吉藤オリィ)wikiプロフィールやインスタ画像は?16歳で電動車椅子を発明し文部科学大臣賞を受賞した天才の現在は?

「奈良のエジソン」との出会い

久保田憲司さんは1953年、奈良県生まれ、大阪工業大学工学部応用化学科卒。宇宙飛行士の毛利衛さんも久保さんのロボットを絶賛するほどの腕前で、「奈良のエジソン」と呼ばれています。

 

 

平成18年には、文部科学大臣優宗教職員表彰も受賞されました。久保さんは当時、奈良県立王寺工業高等学校で教鞭をとっていました。

 

 

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吉藤健太朗さんは久保田憲司さんに師事するため奈良県立王寺工業高等学校に進学し、弟子入りしようと考えました。

 

 

そこから、吉藤健太朗さんは受験勉強を頑張り、苦手な学校にも通うようになりました。

 

 

電動車椅子の開発

吉藤健太朗さんは見事、高校受験に合格し、奈良県立王寺工業高等学校に通うことになりました。

 

 

久保田憲司に弟子入りし、高校一年生から先輩の卒業研究グループに交じり、電動車椅子の新機構の開発に関わったそうです。

 

 

その新電動車椅子は吉藤健太朗さんが高校一年生の秋に完成し、高校二年生の時にはより進化させた新型車椅子を制作しました。

 

 

電脳車椅子「Wander」です。特徴は傾きを感知し自動で水平に姿勢を保ってくれる、車道などの段差を自動で登れる機能など。合わせてスタイリッシュなデザイン性も評価された画期的な車椅子です。

 

 

2004年、ジャパンサイエンス&エンジニアリングチャレンジ、「JSEC」と呼ばれる大会にその車椅子で出場します。大の苦手な人前で話すというプレゼンも必要になりました。必死で特訓したそうです。

 

 

結果は、見事努力が花咲き、「アジレント・テクノロジー特別賞」と最優秀賞「文部科学大臣賞」の2冠を達成することができました。

 

 

アメリカ世界大会

アメリカで開催されたISEF(インテル国際学生科学フェア)と呼ばれる世界大会でもエンジニアリング部門3位であるGrand Award 3rdを獲得しました。チーム研究として日本人初の快挙でした。

 

 

そして、吉藤健太郎さんにとって何より大きかった事は、話す機会のあった10代の高校生が「車椅子の研究をするために生まれてきて、死ぬ瞬間まで研究をするだろう」と聞き、10代で既にそこまで自分の人生を決めているのかと衝撃を受けた事でした。

 

 

「自分は一体何がしたいのか?」「何のために生きているのだろう」という疑問を持ちました。

 

 

帰国するとスーパー高校生と話題になりました。マスコミで取り沙汰されたのはこの頃です。

 

 

高齢者からの手紙

テレビや新聞で取り上げられ、高齢者から「家でも使える車椅子を作ってほしい」という手紙を受け取ったそうです。

 

 

自分は車椅子を開発していたにもかかわらず、ユーザーの意見を全く聞いていなかったという事実を認識し、ショックを受けたそうです。

 

 

この手紙がきっかけで、色んな高齢者の人に車椅子を使う上で困っていることや要望を直接聞きに歩いたそうです。

 

 

そこで知ったのは、高齢者の人たちが抱えていた「孤独」でした。他人に頼るだけで何も恩返しが出来ない、その無力感やは、吉藤健太郎さんが引きこもりの時に抱いていた感情と似ていました。

 

 

この孤独を解消することは、車椅子をハイテク化するよりもやるべきことだなと感じたそうです。

 

 

「人生30年計画」

そのころ、吉藤健太郎さんは体調を崩していて視力がどんどん低下している状況だったそうです。

 

 

医者には視力の低下が止まらなければ20代で失明するだろうと言われ、残された時間はあと13年しかないと覚悟を覚えました。

 

 

そこで吉藤健太郎さんは、2005年、高校3年生の時、「人生30年計画」という人生プランを立てます。

 

 

「孤独を解消して私のような子どもが生まれてこない世の中を作ろう」

「孤独を解消することに残りの人生をすべて使おう」

「あの時の高校生みたいに、孤独を解消するために生まれてきたと言えるようになろう」

 

 

この時は人生をかけてやりたいこと、まさに天命を初めて感じた瞬間だったそうです。

 

 

では、これが高校卒業後の進路にどう影響を与えたのでしょうか。